加賀屋 夕食①
一滴の水 蘭編③
”そうして二人は、いつまでも幸せに暮らしました”
呪いで眠っていたお姫様を王子が助け出す物語で締めくくられるその言葉が、自分達にも当てはまると信じて疑ってなかった。
「私何やってるんだろう・・。」
探偵事務所の一角で掃除しながら、蘭は一人でそう呟いた。
瀬川と映画デートする羽目になったそんな時に限って、よく知り合いに会ってしまっていた。
入り口で仮面ヤイバーを見た帰りの少年探偵団と阿笠博士、売店でデート中の佐藤刑事と高木刑事に会い、他にも帝舟高校の生徒数人にも会い瀬川との組み合わせを冷やかされ、公認カップル的な雰囲気になってしまっていた。
(どうして今日に限ってこんなに知り合いによく会うの!?)蘭は泣きたい気分だった。
高校の生徒達は、新一が株主優待券を配っていたから、その所為だと分かるが、他にも知り合いではないが刑事らしき人を見掛け蘭は不思議でしょうがなかった。
(不思議と言えば、どうして新一がこんなに早く瀬川君と私が付き合ってる事を知ってるの?)
当たり前だが蘭は言ってない。園子も知らなかったくらいなのにである。
(あの時点で知っていたと言えば・・・お父さん!?)
そんな感じで上の空な蘭を瀬川が不満半分、寂しさ半分で見つめていた事を彼女は遂に気付かなかった。
映画が終わり次第、夕食を理由に早目に帰り、父:小五郎を問い詰めたら案の定だった。
「ああ、探偵ボウズから連絡あったから、言っといたぜ!お前はデート中だってな。ガハハ・・!!」
「何でそんな事言うのよ!!お父さん!!」既に出来上がっている小五郎に、拳を振り上げる蘭。
「あ?だって事実じゃねえか。」
小五郎としては掛け値なしの本音だった。
新一から連絡があるたびに一喜一憂し、心配している娘を見ているのは父親には非常に面白くなかった。
おまけに、少し会ったかと思ったら、またいなくなる彼に落ち込む蘭を見ていると、奴の態度は娘を気まぐれにもて遊んでいるようにしか見えない。
もう待つの止めたらどうだ?と言いたいが健気に待っている娘を見ていると何も言えなくなる
そんな中蘭に彼氏が出来き小五郎は秘かに喜んだ。
もう娘は何時帰ってくるか分からない彼を待つ必要がないのだ、という安堵感からだった。
その初デート出発直後に新一から事務所に電話が来たのだった。
もう解放してやってくれという気持ちと今更掛けてきやがって遅いという気持ちが混じり合い、前述のような台詞になった。
新一は待たせた自覚があるのか「そうですか。」と静かに言っただけだった。
その冷静さが何だか余計に気に入らなくて「女がいつまでも待つと思うなよ~!!!」とかなり意地悪な気分で言い返していた。
酒が入っていた事も原因の一つだが、小五郎としては間違った事を言ったつもりはない。
「おじさん、メリークリスマス。」
だが新一は焦るでもなく、弁解するわけでもなく、静かにそう言って電話を切った。
その大人な対応が何か小五郎に後味の悪さを感じさせていた。
気まずさを誤魔化す為、蘭からの眼光鋭い眼差しから逃れる為、明後日の方向を向く小五郎。
「こんなにお酒ばっかり飲んで・・!!全然仕事してない上に、新一に余計な事まで言って!!!」
バキィッ!!事務所のテーブルを空手で破壊する蘭。パラパラと粉が落ちる音がする。
「お父さんとはしばらく口利かないからね!お酒もなし!!」
「ええ~そんな~蘭ちゃーん」
そして冒頭の掃除と相成ったわけである。
(でも新一、クリスマスに私に電話くれてたんだ・・。私の事まだ好きなんだよね?)
蘭はまだ新一が自分を想ってくれていると希望を持っていた。
新一が電話をくれていた事実に浮上した蘭の気持ちは、翌日の学校から瞬く間にしぼんでいった。
何故なら新一の”毛利”呼びが続き、昼休みも登下校も一緒にできず、瀬川との公認カップル雰囲気がずっと続いたからである。
また何処か大人っぽくなった新一は、前と違っていて遠くに感じたのだ。
その上、蘭という存在がなくなった為か、彼は女生徒の告白ラッシュにあっていた。
そんな噂を聞くたび、蘭の心は嫉妬と独占欲で乱れ、彼が行方不明だった頃より精神的に不安定な日々を送っていた。
園子には「早く瀬川君と別れなさい。じゃないと蘭には何も言う権利なくなっちゃうのよ!!」
「新一君、もてるんだから。誰かに取られても知らないわよ!!」と何度も力説されていた。
そしてようやっと約束の1月が経ち、1月24日土曜日に最後のデートで別れようと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。デート当日に瀬川の祖母が危篤に陥り、まさかのドタキャンで別れ話が出来なかったのだ。
沖縄まで飛んだ彼が帰ってきたのは、通夜・葬式を済ませた1週間後だった。
すぐ別れ話をしようと思ったのだが、祖母の死に衝撃を受けた彼は何処かやつれていて言い出しにくかった。
明日言おうと思っていたら何と彼は疲労からか、インフルエンザに掛かり更に1週間休んでしまったのだ。
結局別れる事が出来たのは、2月第2週だった。
「仕方ないね。」と淋しげに笑う瀬川に、涙を溜めながら「ごめんなさい、ごめんなさい。」としか、蘭は言えなかった。
瀬川と別れたからと言って、新一との関係がすぐ進展するわけでない。
新一からの告白を放置し、距離を取られている現状からして蘭からの"返事”と”歩み寄り”が必要不可欠。
そう主張する園子のアドバイスで数日後のバレンタインに備え、告白する決意を固めた。
「うわ~遅くなっちゃった。。」
バレンタイン用買い物予定当日、空手部主将として出席した会議が予定より長引き、蘭は急いで教室へと向かっていた。
「随分、新一君をかばうのね!?」
教室に入ろうとした正にその瞬間、園子の大きな声が響き渡り、蘭は”新一”という単語に反射的にドアの側でしゃがみこんでしまった。
(わ、私何で隠れてるの?つい、反射的に・・!)
最近の蘭は前にも増して彼がどこで誰と何をしているか、知りたがるようになり、耳ダンボの状態になっていた。
「庇うっていうか、去年の俺と同じだからな。」
「去年の日下君と同じ?あ、そう言えば知子ちゃんとのクリスマスデート、ドタキャンしてたわよね!?」
話し相手は、新一と仲の良いクラスメイト、日下だった。
彼については、去年イブに彼女が5時間待っても来ない”ドタキャン”をしたという噂を園子が憤慨しながら話していた事がある。
”日下はそんな無責任な奴じゃない。何か行き違いがあったんじゃないか?”
”そりゃ日下君は寡黙なタイプだけど、5時間も待ちぼうけって知子ちゃん可哀想じゃない!”
”あいつ別に普通に喋るぜ?”
”ただ余計な事を言わないだけだ”
過去の新一との会話が脳裏に甦る。あのとき蘭は知子にすっかり同情していた為「結局、身勝手な男同士庇うんだ」
とすっかり拗ねて彼に「あのなあ」と呆れられたのだった。
「だからドタキャンじゃない。大体俺も工藤も約束していないものをどうやって、キャンセルできるんだ?」
「え?どういう事?」
「俺は事情があって、デートの誘いを断った。だけどせっかくのイブなのにって理由で知子が勝手に待ってたんだよ。
工藤もどんな事情があるか知らないけど、同じだろ?」
「え・・そう言やそうだけど、でもせっかくのイブなんだよ!?」
(そうだよ。好きな人とイブに過ごしたいって当たり前の乙女心だよ!!)蘭は思わず園子に同調する。
「知子と同じ事言うんだな。恋愛が悪いとは言わないけどさ。恋愛がすべてって考えは違うんじゃないか?」
「じゃあイブに彼女とのデートより大事な用事って何よ!!」挑戦的に言う園子。
「家庭の事情だ。」淡々と答える日下。
「家庭の事情って色々あるじゃない!何よ!?」園子は鼻息も荒く、日下に詰め寄る。
「それは鈴木には言う必要ない。」
「納得できないわよ!!」
「またアイツと同じ事言うんだな、やれやれ恋愛最優先の女の考える事は同じか。まあ今ならいいか。」
溜息をついて話し始める日下。
「家庭の事情ってのは母親の手術。丁度その時、親父は出張中、姉貴は短期海外留学中で家族の付添いが俺しかいなかったんだよ。」
それはデートの誘いを断っても無理はない。
「そ、それならそうと言ってくれれば・・!!」ぐっと詰まりながらも言い返す園子。
「また同じ台詞か。何故関係ないのに、家庭のそんな事情をわざわざ話す必要がある?」
「教えてくれたら、きっと知子ちゃんだって分かってくれたわ。お見舞いにだってきっと・・!!」
「正にそれを心配して教えなかった。あのな、鈴木、入院中に見舞いに来て欲しくない患者だっているんだぜ?
特にお袋の場合、健康が取り柄の人だったから落ち込み様が半端なくてさ。
化粧も出来ない状態って事もあって誰にも会いたくないって言うから病室のプレート匿名にしたくらいだった。」
運良く軽症で完治したから、今こうやって話せてるけどさ、と続ける日下。
「要するに、俺が言いたかったのは、別に悪い事してなくても人には言いたくない事や事情があって断る事があるって事。
それをさ、勝手に約束して待って裏切られたってのは無いんじゃねえ?恋愛脳もほどがある。」
「その上事情をよく知らないのに、勝手に噂するやつもいて、俺悪者になってたしな。」
「・・・・。」正にその”事情をよく知らないのに、勝手に噂していた”園子が黙ってしまったようだ。
そして蘭も自分の身勝手さを第3者に突き付けられて愕然としていた。
”悪い。手が離せないんだ。”あの時の苦しげな新一の言葉と今聞いた日下の言葉が何度も蘭の脳に響く。
(あの時もしかして新一もそうだったの?どうしても外せない、言えない用事があったの?)
(まだ分からないわ。あの推理オタクの事だもん。で、でも、もしそうなら言ってくれたら・・!!)
そんな思考の海にいた蘭だったが、ふと向こうの廊下からクラスメイトの1人が歩いてくるのが見えた。
このままでは立ち聞きしていた事が分かってしまう。音を立てないようその場を離れるしかなかった。
だからその後続いた二人の会話は聞くことが出来なかった。
もし続きを聞いていたら、運命が変わったかもしれない。
黙り込んだ園子を静かに見つめる日下。
そんな中別のクラスメイトが、鞄を取りに教室に入りすぐ出ていった。
彼女が出て教室から遠ざかった頃合いを見計らって、二人の会話が再開する。
「鈴木さ、味方するだけが親友じゃないぜ。間違ってたら正すのも友情だぜ。分かってるんだろう?
いくら工藤が毛利に告白したからって、いや告白していたからこそ、返事もせずに別の男と付き合ったらそれは”断り”の意味になるって。」
「・・・そうね。」しかも断り方としては最悪な方法である。
実は園子は、イブのデートキャンセル、ロンドンの告白の件を日下に教えて、蘭の為に協力を仰ごうと思っていたのだ。
だが返事は「有り得ない。」で毛利が彼氏をつくったように、工藤が誰を彼女にしても問題ない。
そのデートキャンセルも工藤には非がない、と言った為、蘭が聞いたやりとりに発展していたのだった。
(だからあれだけ返事しなさいって言ったのに!!)
二人の仲をずっと応援していた園子に親友を詰る気持ちが沸き上がってくる。
しかも彼女には、その一番微妙な時期に別に彼氏が出来ていた。
(蘭がいくら健気に待っていても、彼氏を作った時点で”待たなかった”事になっちゃうのよ!?)
全然気づいてない親友にハラハラする。今までは蘭をいつまでも待たせている新一に”蘭に甘え過ぎよ!”と怒っていたが、現在逆転していた。
(蘭は新一君に甘え過ぎよ!今のままじゃいつ新一君に彼女が出来ても可笑しくないってのに・・!!)
まるでそんな園子の心を読んだかのように、日下が話を続けた。
「それに工藤多分、好きな女いるぜ!?」
「え!!嘘!?何で分かるの?」
「弁当。」
「え?弁当なら有希子おばさまが作ってるんでしょ。蘭から聞いたわよ。」驚かせないでよ、と思いながら返事をする園子。
だが日下は首を横に振った。
「工藤のお袋さん、もう10日前にロスに帰ってるぜ?」
「え。嘘。」最近蘭も園子も全然新一と話出来ていないので、そんな事知らなかった。
それから続けた日下の話では、今までと明らかに違う弁当になっているとの事だった。
「どう違うの?」
「そうだな・・。一番分かりやすいのが卵焼きかな。お袋さんのは黄色くて艶々してる甘い卵焼きだった。
でも最近のは、甘さ控えめのしっかりした卵焼きになっていた。」
「何で分かるわけ?」
「卵焼きってさ、砂糖を多く入れると黄色くなって艶も増す。けどしっかり巻きにくいから、ちょっとくてってした感じになる。
反対に少な目にすると艶は出ないけどしっかり巻ける。ほら、駅で売ってる弁当みたいな感じになる。」
「へーそうなんだ。良く知ってるわね。」
「うちはお袋が甘い卵焼き派で、姉貴が砂糖少な目派だから、偶々知ってただけ。他のおかずも素材が同じでも形が違うとかで、今までと違う感じしたしな。」
それを凄く嬉しそうに工藤が食っていたから、あれは好きな女性から作ってもらったんじゃないか、という日下の推論に園子は愕然とした。
「で、でもまだ分からないでしょ!?弁当作ってるのが男性かもしれないし、偶々知り合った面倒見の良い女性とか、もしそうだとしても新一君の片思いとか・・・。」
言いながらどんどん声が小さくなっていく自身を園子は自覚せざるを得なかった。
男性が作り手なら、嬉しそうな様子が説明出来ないし、女性なら好きでもない男性に毎日弁当を作るなど身内以外でまずあり得ないからだ。
そこから導き出される結論は、相手の女性も憎からず新一の事を想っているだろう事が容易に想像できる。
「かもな。」そんな葛藤を見抜いたかのように日下は案外あっさり頷いた。
「鈴木。俺はさっきも言ったように、事情をよく知らないで人の事をあれこれ言うのが嫌いだ。」
「けど間違った噂や思い込みは防ぎたいって思う。・・・分かるよな?」
それは園子に蘭の事で新一の事を悪く言うなという事、無責任に噂をしないことを求めているのだ。
後、蘭がまだ”告白”が有効だと勘違いしているから起こるであろう事象を事前に防いで欲しいとの願いもあるかもしれない。おそらくその為に、寡黙な日下がここまで話してくれたのだ。
「うん・・。」
頷きながら園子は暗澹たる気分で親友を思い、心の中で呟いた。
(蘭・・・。あんた、これもう手遅れかもしれないわ。)
日下と園子が教室から離れたのを特別教室から見て、蘭はようやっと教室に鞄を取りに行く事が出来た。
”恋愛脳””勝手に約束して裏切られたはない””人には言いたくない事や事情がある””事情をよく知らないのに、勝手に噂する”
先程の会話からの日下の言葉が耳から離れない。
(で、でも謝ればきっと許してくれるよ。謝って「私も好きだよ。」って言えば新一なら、きっと大丈夫!!)
心にこびりつく不安を振り払うかのように、蘭は帰りにバレンタイン用の買い物をし、その夜からずっとチョコの調理練習に明け暮れた。
(新一は甘いの苦手だからビターチョコレートにして・・。包装はこれでいいかな?)試行錯誤する蘭。
そしてバレンタイン当日が土曜日だった為、夕方久しぶりに工藤邸の前に立っていた。
今までは新一の両親が居た(と思い込んでる)事と彼氏がいるなら来ない方がいいという新一の言葉で訪ねる事が出来なかったのだ。
だが瀬川と無事別れ、先日会った母親から、工藤夫妻はロスに帰ったという情報を知っていた蘭の足取りは軽かった。
(新一のお母さんがいないなら、夕食にアイツの好きなハンバーグとオムライス作ってあげよう。)
手にはスーパーの買い物袋とその中に隠したチョコレートが入っている。
そして夕食後に頃合いを見計らってチョコを渡して「私も好き。」って言おう。そんな未来予想図をする蘭。
ピンポーン。
チャイムを鳴らしてから人が出てくるのが遅いのは、広いこの工藤邸では当たり前。
(夕食作りに家に来るなんて、私って押しかけ女房みたいじゃない彡)待っている間1人照れている蘭。
「はーい。どちら様?」
「新一?私よ。」
「毛利か。何か用か?」
「用っていうか・・。たまたま通り掛かったから・・。元気?」
「?元気だけど?昨日学校で会ったじゃねえか?」
不思議そうな新一の顔が心に突き刺さる。
(用がなきゃ来ちゃいけないの!?それに毛利じゃなくて、今までみたいに蘭って呼んでよ!)
瀬川と別れた事実を新一が知らない事を失念していた蘭は他人行儀な彼の対応に一人憤る。
過去の親密な関係を取り戻せると信じていた。否、思い込んでいた。
「そ、そうなんだ。おじさまとおばさまロスの自宅へ帰ったって聞いたから、新一1人で大丈夫かな~って。」
「ガキじゃあるまいに。別に平気だよ。・・・ま、立ち話もなんだ、上がってくか?」
「う、うん。お邪魔します。」
居間へと案内された。
「座ってろよ。コーヒーでいいか?」「あ、うん。」
(私、お客様扱いなんだね・・。)
以前なら彼は相手が蘭と知ると勝手に入れと言わんばかりに玄関に置いていった。
そして蘭も勝手知ったる家とばかりに、キッチンで飲み物の準備や料理をしていたのだ。
離れてしまった精神的距離を実感する。
「あれ可笑しいな・・?志保-!コーヒー何処だっけ?」
新一の声に答えるように廊下から一人の女性が現れた。
西洋の陶器人形を連想させる滑らかな肌、端正な顔立ち、赤みがかった茶髪に翡翠の瞳の綺麗な女性だった。
(・・その女性誰なの?新一?)思わず女性を凝視する蘭。
「さっきコーヒー切れたって言ったでしょう?工藤君。」
「あ、そういやそうだっけ。毛利、紅茶でいいか?」
「う、うん。」
物問いたげな蘭の視線に気づいたのか、新一は志保と蘭を交互に見た。
「そういや初対面だっけ。志保、幼馴染の毛利蘭。毛利、俺の彼女の宮野志保。」
あんまりにもさらりと言うので蘭は咄嗟に意味が呑み込めなかった。
(・・・・・え?新一の彼女、さん。)
足から力が抜けていく。ソファに座っていなかったら、へたり込んだに違いない。
「初めまして。宮野志保です。」ごく簡単に自己紹介する、軽く頭を下げる彼女が誰かに似ている気がしたが思い出せない。
「あ、は、初めまして。毛利蘭です。」
動かない口を何とか駆使して返事するが、表情が強張っているだろう事が想像できる。
「はい。どうぞ。」
「い、頂きます。」
(ち、近くで見れば見るほど綺麗な人・・!!)
蘭は志保の自分にはない”大人の女性の美しさ”に圧倒され、心中打ちのめされていた。
「志保は紅茶も上手いよな~。」美味しそうに飲む新一。
「そう言ってくれると嬉しいわ。けど工藤君、貴方もうちょっとコーヒー消費量減らして頂戴!
さっきも気付いたら私の分、ほとんどなかったのよ?」
「げ、マジ?悪い悪い。けど志保の入れてくれるコーヒー、美味しいんだよな。
それにさ、チョコレートにはやっぱブラックコーヒーだろ!」
「全く・・。」呆れたように言う彼女。
「そうそう、さっきくれたレモンリキュール入りのファンダンショコラ、マジ美味かったぜ、サンキューな、志保。」
軽快にやりとりする二人。
それはかつての新一と蘭だった。
けれど今新一の側に蘭の居場所はない。その事を嫌というほど蘭は痛感した。
(レモンリキュール入りのファンダンショコラ・・。ああ、今日バレンタインだもんね・・。そっか、そっか。)
良く回らない頭で考えると結論がなかなか出てこなかったがバレンタインに彼女が彼氏にチョコを贈るなんて当たり前。
一度事態を把握すると、仲睦まじい二人を目の前にして、次はどす黒い感情が湧きあがってきた。
(新一の隣は私の場所なのよ?取らないでよ!!ずっと待ってたのよ!!)
”志保、幼馴染の毛利蘭。毛利、俺の彼女の宮野志保”
けれど先程の彼の言葉が氷柱の様に胸が突き刺さり何も言えない。
彼女は恋人、自分は幼馴染にしか過ぎない。
「ちょっと、工藤君。彼女放っておいちゃダメでしょ!?」
「あ、悪い、毛利。・・・どうした?」
微動だにしない蘭を心配げに覗き込む新一。
いつもなら彼が気に掛けてくれるのが嬉しいが彼女の言葉がきっかけの為、ちっとも嬉しくなかった。
これ以上二人の前で平静でいられる自信などない。
急いで残りの紅茶を流し込み、お暇する。
「し、新一元気そうで良かったよ。私お魚買ってたの忘れてから早く帰るね。お父さんの夕食の支度しなきゃ。御馳走様でした。」
「お、おい。毛利?」
戸惑ったような新一と同じ表情の彼女が目に映るが、構っていられなかった。
一気に喋り頭を下げ、二人を見ないようにして工藤邸を後にした。
「・・・何で?」
蘭は帰宅途中、河川敷をとぼとぼ歩きながら呟く。
(何で新一に知らない間に彼女が出来てるの?)
(新一が待っててくれって言ったのは幼馴染みとしての言葉だったの?)
「馬鹿みたい・・・。」
彼の言葉を信じ、ただひたすら待ち続けた自分が蘭は惨めで仕方なかった。
「チョコレート無駄になっちゃった。」
甘いものが苦手な彼の為に、頑張って作ったビターチョコレートは綺麗に包装までしたのに、全部全部無意味だった。
あんな仲の良いカップルの目の前で渡せるわけない。
「せっかく腕を振るおうと思ってたのに。」
(ロンドンで私の事好きな女って言ってくれたのは嘘だったの?)
「新一は私なんかの事好きじゃなかっんだ・・・。」
新一を泣いて責めたい。だがあの場で、できなかったのは志保の存在と後・・。
(園子の言った通り、私が彼氏を作ったから、なの・・・??)
散々園子に言われた瀬川の事だった。
「だって新一が帰ってこないから・・・。私は1年も待ったんだよ?それなのに・・。」
(それなのに新一は1月も待ってくれないって言うの?酷い!酷いよぉ)
蘭には自分が非があるとは思えなかった。
確かに告白の返事は保留にして彼氏は作ったが、それは新一がなかなか帰ってこない上に、イブにデートをドタキャンしたせいだし、今まで彼が自分を待たせていた年月を考えれば許されると思っていたのである。
確かに約1年と1月では差があるが、その二つの”待つ意味合い”が全く違うという事に彼女は気付けないでいた。
何より蘭は”自分は愛されている”という自負があったのだ。
(酷い、酷いよぉ。新一ぃ!!ずっと待ってた私はどうなるの?どうしたらいいのよ!!)
「うわあああああああん!!!新一ぃ!!新一ぃ!!」
夕焼けの川の側で涙が涸れるほど泣き続けた。
幸せな結末を夢見ていた彼女は、まだ子供だった。
眠ってる間に王子が余所の姫と恋に落ちたら、待ってる姫がどうなるかなんて物語は考えていなかった。
(こんなはずじゃなかったのに!!!)
***************************************************
蘭 失恋編です。
しかも新一は蘭と彼氏,仲良くしているとばかり思っていたのでザ眼中外な失恋劇です。
加えて自分にはない大人の魅力を持った綺麗な志保さんが相手では歯が立ちません。
何気にヒドイですが、まだ受難!?は終わりません。
眠り姫をサブテーマにしてます。さて残る二人の童話テーマは何にしよう。
呪いで眠っていたお姫様を王子が助け出す物語で締めくくられるその言葉が、自分達にも当てはまると信じて疑ってなかった。
「私何やってるんだろう・・。」
探偵事務所の一角で掃除しながら、蘭は一人でそう呟いた。
瀬川と映画デートする羽目になったそんな時に限って、よく知り合いに会ってしまっていた。
入り口で仮面ヤイバーを見た帰りの少年探偵団と阿笠博士、売店でデート中の佐藤刑事と高木刑事に会い、他にも帝舟高校の生徒数人にも会い瀬川との組み合わせを冷やかされ、公認カップル的な雰囲気になってしまっていた。
(どうして今日に限ってこんなに知り合いによく会うの!?)蘭は泣きたい気分だった。
高校の生徒達は、新一が株主優待券を配っていたから、その所為だと分かるが、他にも知り合いではないが刑事らしき人を見掛け蘭は不思議でしょうがなかった。
(不思議と言えば、どうして新一がこんなに早く瀬川君と私が付き合ってる事を知ってるの?)
当たり前だが蘭は言ってない。園子も知らなかったくらいなのにである。
(あの時点で知っていたと言えば・・・お父さん!?)
そんな感じで上の空な蘭を瀬川が不満半分、寂しさ半分で見つめていた事を彼女は遂に気付かなかった。
映画が終わり次第、夕食を理由に早目に帰り、父:小五郎を問い詰めたら案の定だった。
「ああ、探偵ボウズから連絡あったから、言っといたぜ!お前はデート中だってな。ガハハ・・!!」
「何でそんな事言うのよ!!お父さん!!」既に出来上がっている小五郎に、拳を振り上げる蘭。
「あ?だって事実じゃねえか。」
小五郎としては掛け値なしの本音だった。
新一から連絡があるたびに一喜一憂し、心配している娘を見ているのは父親には非常に面白くなかった。
おまけに、少し会ったかと思ったら、またいなくなる彼に落ち込む蘭を見ていると、奴の態度は娘を気まぐれにもて遊んでいるようにしか見えない。
もう待つの止めたらどうだ?と言いたいが健気に待っている娘を見ていると何も言えなくなる
そんな中蘭に彼氏が出来き小五郎は秘かに喜んだ。
もう娘は何時帰ってくるか分からない彼を待つ必要がないのだ、という安堵感からだった。
その初デート出発直後に新一から事務所に電話が来たのだった。
もう解放してやってくれという気持ちと今更掛けてきやがって遅いという気持ちが混じり合い、前述のような台詞になった。
新一は待たせた自覚があるのか「そうですか。」と静かに言っただけだった。
その冷静さが何だか余計に気に入らなくて「女がいつまでも待つと思うなよ~!!!」とかなり意地悪な気分で言い返していた。
酒が入っていた事も原因の一つだが、小五郎としては間違った事を言ったつもりはない。
「おじさん、メリークリスマス。」
だが新一は焦るでもなく、弁解するわけでもなく、静かにそう言って電話を切った。
その大人な対応が何か小五郎に後味の悪さを感じさせていた。
気まずさを誤魔化す為、蘭からの眼光鋭い眼差しから逃れる為、明後日の方向を向く小五郎。
「こんなにお酒ばっかり飲んで・・!!全然仕事してない上に、新一に余計な事まで言って!!!」
バキィッ!!事務所のテーブルを空手で破壊する蘭。パラパラと粉が落ちる音がする。
「お父さんとはしばらく口利かないからね!お酒もなし!!」
「ええ~そんな~蘭ちゃーん」
そして冒頭の掃除と相成ったわけである。
(でも新一、クリスマスに私に電話くれてたんだ・・。私の事まだ好きなんだよね?)
蘭はまだ新一が自分を想ってくれていると希望を持っていた。
新一が電話をくれていた事実に浮上した蘭の気持ちは、翌日の学校から瞬く間にしぼんでいった。
何故なら新一の”毛利”呼びが続き、昼休みも登下校も一緒にできず、瀬川との公認カップル雰囲気がずっと続いたからである。
また何処か大人っぽくなった新一は、前と違っていて遠くに感じたのだ。
その上、蘭という存在がなくなった為か、彼は女生徒の告白ラッシュにあっていた。
そんな噂を聞くたび、蘭の心は嫉妬と独占欲で乱れ、彼が行方不明だった頃より精神的に不安定な日々を送っていた。
園子には「早く瀬川君と別れなさい。じゃないと蘭には何も言う権利なくなっちゃうのよ!!」
「新一君、もてるんだから。誰かに取られても知らないわよ!!」と何度も力説されていた。
そしてようやっと約束の1月が経ち、1月24日土曜日に最後のデートで別れようと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。デート当日に瀬川の祖母が危篤に陥り、まさかのドタキャンで別れ話が出来なかったのだ。
沖縄まで飛んだ彼が帰ってきたのは、通夜・葬式を済ませた1週間後だった。
すぐ別れ話をしようと思ったのだが、祖母の死に衝撃を受けた彼は何処かやつれていて言い出しにくかった。
明日言おうと思っていたら何と彼は疲労からか、インフルエンザに掛かり更に1週間休んでしまったのだ。
結局別れる事が出来たのは、2月第2週だった。
「仕方ないね。」と淋しげに笑う瀬川に、涙を溜めながら「ごめんなさい、ごめんなさい。」としか、蘭は言えなかった。
瀬川と別れたからと言って、新一との関係がすぐ進展するわけでない。
新一からの告白を放置し、距離を取られている現状からして蘭からの"返事”と”歩み寄り”が必要不可欠。
そう主張する園子のアドバイスで数日後のバレンタインに備え、告白する決意を固めた。
「うわ~遅くなっちゃった。。」
バレンタイン用買い物予定当日、空手部主将として出席した会議が予定より長引き、蘭は急いで教室へと向かっていた。
「随分、新一君をかばうのね!?」
教室に入ろうとした正にその瞬間、園子の大きな声が響き渡り、蘭は”新一”という単語に反射的にドアの側でしゃがみこんでしまった。
(わ、私何で隠れてるの?つい、反射的に・・!)
最近の蘭は前にも増して彼がどこで誰と何をしているか、知りたがるようになり、耳ダンボの状態になっていた。
「庇うっていうか、去年の俺と同じだからな。」
「去年の日下君と同じ?あ、そう言えば知子ちゃんとのクリスマスデート、ドタキャンしてたわよね!?」
話し相手は、新一と仲の良いクラスメイト、日下だった。
彼については、去年イブに彼女が5時間待っても来ない”ドタキャン”をしたという噂を園子が憤慨しながら話していた事がある。
”日下はそんな無責任な奴じゃない。何か行き違いがあったんじゃないか?”
”そりゃ日下君は寡黙なタイプだけど、5時間も待ちぼうけって知子ちゃん可哀想じゃない!”
”あいつ別に普通に喋るぜ?”
”ただ余計な事を言わないだけだ”
過去の新一との会話が脳裏に甦る。あのとき蘭は知子にすっかり同情していた為「結局、身勝手な男同士庇うんだ」
とすっかり拗ねて彼に「あのなあ」と呆れられたのだった。
「だからドタキャンじゃない。大体俺も工藤も約束していないものをどうやって、キャンセルできるんだ?」
「え?どういう事?」
「俺は事情があって、デートの誘いを断った。だけどせっかくのイブなのにって理由で知子が勝手に待ってたんだよ。
工藤もどんな事情があるか知らないけど、同じだろ?」
「え・・そう言やそうだけど、でもせっかくのイブなんだよ!?」
(そうだよ。好きな人とイブに過ごしたいって当たり前の乙女心だよ!!)蘭は思わず園子に同調する。
「知子と同じ事言うんだな。恋愛が悪いとは言わないけどさ。恋愛がすべてって考えは違うんじゃないか?」
「じゃあイブに彼女とのデートより大事な用事って何よ!!」挑戦的に言う園子。
「家庭の事情だ。」淡々と答える日下。
「家庭の事情って色々あるじゃない!何よ!?」園子は鼻息も荒く、日下に詰め寄る。
「それは鈴木には言う必要ない。」
「納得できないわよ!!」
「またアイツと同じ事言うんだな、やれやれ恋愛最優先の女の考える事は同じか。まあ今ならいいか。」
溜息をついて話し始める日下。
「家庭の事情ってのは母親の手術。丁度その時、親父は出張中、姉貴は短期海外留学中で家族の付添いが俺しかいなかったんだよ。」
それはデートの誘いを断っても無理はない。
「そ、それならそうと言ってくれれば・・!!」ぐっと詰まりながらも言い返す園子。
「また同じ台詞か。何故関係ないのに、家庭のそんな事情をわざわざ話す必要がある?」
「教えてくれたら、きっと知子ちゃんだって分かってくれたわ。お見舞いにだってきっと・・!!」
「正にそれを心配して教えなかった。あのな、鈴木、入院中に見舞いに来て欲しくない患者だっているんだぜ?
特にお袋の場合、健康が取り柄の人だったから落ち込み様が半端なくてさ。
化粧も出来ない状態って事もあって誰にも会いたくないって言うから病室のプレート匿名にしたくらいだった。」
運良く軽症で完治したから、今こうやって話せてるけどさ、と続ける日下。
「要するに、俺が言いたかったのは、別に悪い事してなくても人には言いたくない事や事情があって断る事があるって事。
それをさ、勝手に約束して待って裏切られたってのは無いんじゃねえ?恋愛脳もほどがある。」
「その上事情をよく知らないのに、勝手に噂するやつもいて、俺悪者になってたしな。」
「・・・・。」正にその”事情をよく知らないのに、勝手に噂していた”園子が黙ってしまったようだ。
そして蘭も自分の身勝手さを第3者に突き付けられて愕然としていた。
”悪い。手が離せないんだ。”あの時の苦しげな新一の言葉と今聞いた日下の言葉が何度も蘭の脳に響く。
(あの時もしかして新一もそうだったの?どうしても外せない、言えない用事があったの?)
(まだ分からないわ。あの推理オタクの事だもん。で、でも、もしそうなら言ってくれたら・・!!)
そんな思考の海にいた蘭だったが、ふと向こうの廊下からクラスメイトの1人が歩いてくるのが見えた。
このままでは立ち聞きしていた事が分かってしまう。音を立てないようその場を離れるしかなかった。
だからその後続いた二人の会話は聞くことが出来なかった。
もし続きを聞いていたら、運命が変わったかもしれない。
黙り込んだ園子を静かに見つめる日下。
そんな中別のクラスメイトが、鞄を取りに教室に入りすぐ出ていった。
彼女が出て教室から遠ざかった頃合いを見計らって、二人の会話が再開する。
「鈴木さ、味方するだけが親友じゃないぜ。間違ってたら正すのも友情だぜ。分かってるんだろう?
いくら工藤が毛利に告白したからって、いや告白していたからこそ、返事もせずに別の男と付き合ったらそれは”断り”の意味になるって。」
「・・・そうね。」しかも断り方としては最悪な方法である。
実は園子は、イブのデートキャンセル、ロンドンの告白の件を日下に教えて、蘭の為に協力を仰ごうと思っていたのだ。
だが返事は「有り得ない。」で毛利が彼氏をつくったように、工藤が誰を彼女にしても問題ない。
そのデートキャンセルも工藤には非がない、と言った為、蘭が聞いたやりとりに発展していたのだった。
(だからあれだけ返事しなさいって言ったのに!!)
二人の仲をずっと応援していた園子に親友を詰る気持ちが沸き上がってくる。
しかも彼女には、その一番微妙な時期に別に彼氏が出来ていた。
(蘭がいくら健気に待っていても、彼氏を作った時点で”待たなかった”事になっちゃうのよ!?)
全然気づいてない親友にハラハラする。今までは蘭をいつまでも待たせている新一に”蘭に甘え過ぎよ!”と怒っていたが、現在逆転していた。
(蘭は新一君に甘え過ぎよ!今のままじゃいつ新一君に彼女が出来ても可笑しくないってのに・・!!)
まるでそんな園子の心を読んだかのように、日下が話を続けた。
「それに工藤多分、好きな女いるぜ!?」
「え!!嘘!?何で分かるの?」
「弁当。」
「え?弁当なら有希子おばさまが作ってるんでしょ。蘭から聞いたわよ。」驚かせないでよ、と思いながら返事をする園子。
だが日下は首を横に振った。
「工藤のお袋さん、もう10日前にロスに帰ってるぜ?」
「え。嘘。」最近蘭も園子も全然新一と話出来ていないので、そんな事知らなかった。
それから続けた日下の話では、今までと明らかに違う弁当になっているとの事だった。
「どう違うの?」
「そうだな・・。一番分かりやすいのが卵焼きかな。お袋さんのは黄色くて艶々してる甘い卵焼きだった。
でも最近のは、甘さ控えめのしっかりした卵焼きになっていた。」
「何で分かるわけ?」
「卵焼きってさ、砂糖を多く入れると黄色くなって艶も増す。けどしっかり巻きにくいから、ちょっとくてってした感じになる。
反対に少な目にすると艶は出ないけどしっかり巻ける。ほら、駅で売ってる弁当みたいな感じになる。」
「へーそうなんだ。良く知ってるわね。」
「うちはお袋が甘い卵焼き派で、姉貴が砂糖少な目派だから、偶々知ってただけ。他のおかずも素材が同じでも形が違うとかで、今までと違う感じしたしな。」
それを凄く嬉しそうに工藤が食っていたから、あれは好きな女性から作ってもらったんじゃないか、という日下の推論に園子は愕然とした。
「で、でもまだ分からないでしょ!?弁当作ってるのが男性かもしれないし、偶々知り合った面倒見の良い女性とか、もしそうだとしても新一君の片思いとか・・・。」
言いながらどんどん声が小さくなっていく自身を園子は自覚せざるを得なかった。
男性が作り手なら、嬉しそうな様子が説明出来ないし、女性なら好きでもない男性に毎日弁当を作るなど身内以外でまずあり得ないからだ。
そこから導き出される結論は、相手の女性も憎からず新一の事を想っているだろう事が容易に想像できる。
「かもな。」そんな葛藤を見抜いたかのように日下は案外あっさり頷いた。
「鈴木。俺はさっきも言ったように、事情をよく知らないで人の事をあれこれ言うのが嫌いだ。」
「けど間違った噂や思い込みは防ぎたいって思う。・・・分かるよな?」
それは園子に蘭の事で新一の事を悪く言うなという事、無責任に噂をしないことを求めているのだ。
後、蘭がまだ”告白”が有効だと勘違いしているから起こるであろう事象を事前に防いで欲しいとの願いもあるかもしれない。おそらくその為に、寡黙な日下がここまで話してくれたのだ。
「うん・・。」
頷きながら園子は暗澹たる気分で親友を思い、心の中で呟いた。
(蘭・・・。あんた、これもう手遅れかもしれないわ。)
日下と園子が教室から離れたのを特別教室から見て、蘭はようやっと教室に鞄を取りに行く事が出来た。
”恋愛脳””勝手に約束して裏切られたはない””人には言いたくない事や事情がある””事情をよく知らないのに、勝手に噂する”
先程の会話からの日下の言葉が耳から離れない。
(で、でも謝ればきっと許してくれるよ。謝って「私も好きだよ。」って言えば新一なら、きっと大丈夫!!)
心にこびりつく不安を振り払うかのように、蘭は帰りにバレンタイン用の買い物をし、その夜からずっとチョコの調理練習に明け暮れた。
(新一は甘いの苦手だからビターチョコレートにして・・。包装はこれでいいかな?)試行錯誤する蘭。
そしてバレンタイン当日が土曜日だった為、夕方久しぶりに工藤邸の前に立っていた。
今までは新一の両親が居た(と思い込んでる)事と彼氏がいるなら来ない方がいいという新一の言葉で訪ねる事が出来なかったのだ。
だが瀬川と無事別れ、先日会った母親から、工藤夫妻はロスに帰ったという情報を知っていた蘭の足取りは軽かった。
(新一のお母さんがいないなら、夕食にアイツの好きなハンバーグとオムライス作ってあげよう。)
手にはスーパーの買い物袋とその中に隠したチョコレートが入っている。
そして夕食後に頃合いを見計らってチョコを渡して「私も好き。」って言おう。そんな未来予想図をする蘭。
ピンポーン。
チャイムを鳴らしてから人が出てくるのが遅いのは、広いこの工藤邸では当たり前。
(夕食作りに家に来るなんて、私って押しかけ女房みたいじゃない彡)待っている間1人照れている蘭。
「はーい。どちら様?」
「新一?私よ。」
「毛利か。何か用か?」
「用っていうか・・。たまたま通り掛かったから・・。元気?」
「?元気だけど?昨日学校で会ったじゃねえか?」
不思議そうな新一の顔が心に突き刺さる。
(用がなきゃ来ちゃいけないの!?それに毛利じゃなくて、今までみたいに蘭って呼んでよ!)
瀬川と別れた事実を新一が知らない事を失念していた蘭は他人行儀な彼の対応に一人憤る。
過去の親密な関係を取り戻せると信じていた。否、思い込んでいた。
「そ、そうなんだ。おじさまとおばさまロスの自宅へ帰ったって聞いたから、新一1人で大丈夫かな~って。」
「ガキじゃあるまいに。別に平気だよ。・・・ま、立ち話もなんだ、上がってくか?」
「う、うん。お邪魔します。」
居間へと案内された。
「座ってろよ。コーヒーでいいか?」「あ、うん。」
(私、お客様扱いなんだね・・。)
以前なら彼は相手が蘭と知ると勝手に入れと言わんばかりに玄関に置いていった。
そして蘭も勝手知ったる家とばかりに、キッチンで飲み物の準備や料理をしていたのだ。
離れてしまった精神的距離を実感する。
「あれ可笑しいな・・?志保-!コーヒー何処だっけ?」
新一の声に答えるように廊下から一人の女性が現れた。
西洋の陶器人形を連想させる滑らかな肌、端正な顔立ち、赤みがかった茶髪に翡翠の瞳の綺麗な女性だった。
(・・その女性誰なの?新一?)思わず女性を凝視する蘭。
「さっきコーヒー切れたって言ったでしょう?工藤君。」
「あ、そういやそうだっけ。毛利、紅茶でいいか?」
「う、うん。」
物問いたげな蘭の視線に気づいたのか、新一は志保と蘭を交互に見た。
「そういや初対面だっけ。志保、幼馴染の毛利蘭。毛利、俺の彼女の宮野志保。」
あんまりにもさらりと言うので蘭は咄嗟に意味が呑み込めなかった。
(・・・・・え?新一の彼女、さん。)
足から力が抜けていく。ソファに座っていなかったら、へたり込んだに違いない。
「初めまして。宮野志保です。」ごく簡単に自己紹介する、軽く頭を下げる彼女が誰かに似ている気がしたが思い出せない。
「あ、は、初めまして。毛利蘭です。」
動かない口を何とか駆使して返事するが、表情が強張っているだろう事が想像できる。
「はい。どうぞ。」
「い、頂きます。」
(ち、近くで見れば見るほど綺麗な人・・!!)
蘭は志保の自分にはない”大人の女性の美しさ”に圧倒され、心中打ちのめされていた。
「志保は紅茶も上手いよな~。」美味しそうに飲む新一。
「そう言ってくれると嬉しいわ。けど工藤君、貴方もうちょっとコーヒー消費量減らして頂戴!
さっきも気付いたら私の分、ほとんどなかったのよ?」
「げ、マジ?悪い悪い。けど志保の入れてくれるコーヒー、美味しいんだよな。
それにさ、チョコレートにはやっぱブラックコーヒーだろ!」
「全く・・。」呆れたように言う彼女。
「そうそう、さっきくれたレモンリキュール入りのファンダンショコラ、マジ美味かったぜ、サンキューな、志保。」
軽快にやりとりする二人。
それはかつての新一と蘭だった。
けれど今新一の側に蘭の居場所はない。その事を嫌というほど蘭は痛感した。
(レモンリキュール入りのファンダンショコラ・・。ああ、今日バレンタインだもんね・・。そっか、そっか。)
良く回らない頭で考えると結論がなかなか出てこなかったがバレンタインに彼女が彼氏にチョコを贈るなんて当たり前。
一度事態を把握すると、仲睦まじい二人を目の前にして、次はどす黒い感情が湧きあがってきた。
(新一の隣は私の場所なのよ?取らないでよ!!ずっと待ってたのよ!!)
”志保、幼馴染の毛利蘭。毛利、俺の彼女の宮野志保”
けれど先程の彼の言葉が氷柱の様に胸が突き刺さり何も言えない。
彼女は恋人、自分は幼馴染にしか過ぎない。
「ちょっと、工藤君。彼女放っておいちゃダメでしょ!?」
「あ、悪い、毛利。・・・どうした?」
微動だにしない蘭を心配げに覗き込む新一。
いつもなら彼が気に掛けてくれるのが嬉しいが彼女の言葉がきっかけの為、ちっとも嬉しくなかった。
これ以上二人の前で平静でいられる自信などない。
急いで残りの紅茶を流し込み、お暇する。
「し、新一元気そうで良かったよ。私お魚買ってたの忘れてから早く帰るね。お父さんの夕食の支度しなきゃ。御馳走様でした。」
「お、おい。毛利?」
戸惑ったような新一と同じ表情の彼女が目に映るが、構っていられなかった。
一気に喋り頭を下げ、二人を見ないようにして工藤邸を後にした。
「・・・何で?」
蘭は帰宅途中、河川敷をとぼとぼ歩きながら呟く。
(何で新一に知らない間に彼女が出来てるの?)
(新一が待っててくれって言ったのは幼馴染みとしての言葉だったの?)
「馬鹿みたい・・・。」
彼の言葉を信じ、ただひたすら待ち続けた自分が蘭は惨めで仕方なかった。
「チョコレート無駄になっちゃった。」
甘いものが苦手な彼の為に、頑張って作ったビターチョコレートは綺麗に包装までしたのに、全部全部無意味だった。
あんな仲の良いカップルの目の前で渡せるわけない。
「せっかく腕を振るおうと思ってたのに。」
(ロンドンで私の事好きな女って言ってくれたのは嘘だったの?)
「新一は私なんかの事好きじゃなかっんだ・・・。」
新一を泣いて責めたい。だがあの場で、できなかったのは志保の存在と後・・。
(園子の言った通り、私が彼氏を作ったから、なの・・・??)
散々園子に言われた瀬川の事だった。
「だって新一が帰ってこないから・・・。私は1年も待ったんだよ?それなのに・・。」
(それなのに新一は1月も待ってくれないって言うの?酷い!酷いよぉ)
蘭には自分が非があるとは思えなかった。
確かに告白の返事は保留にして彼氏は作ったが、それは新一がなかなか帰ってこない上に、イブにデートをドタキャンしたせいだし、今まで彼が自分を待たせていた年月を考えれば許されると思っていたのである。
確かに約1年と1月では差があるが、その二つの”待つ意味合い”が全く違うという事に彼女は気付けないでいた。
何より蘭は”自分は愛されている”という自負があったのだ。
(酷い、酷いよぉ。新一ぃ!!ずっと待ってた私はどうなるの?どうしたらいいのよ!!)
「うわあああああああん!!!新一ぃ!!新一ぃ!!」
夕焼けの川の側で涙が涸れるほど泣き続けた。
幸せな結末を夢見ていた彼女は、まだ子供だった。
眠ってる間に王子が余所の姫と恋に落ちたら、待ってる姫がどうなるかなんて物語は考えていなかった。
(こんなはずじゃなかったのに!!!)
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蘭 失恋編です。
しかも新一は蘭と彼氏,仲良くしているとばかり思っていたのでザ眼中外な失恋劇です。
加えて自分にはない大人の魅力を持った綺麗な志保さんが相手では歯が立ちません。
何気にヒドイですが、まだ受難!?は終わりません。
眠り姫をサブテーマにしてます。さて残る二人の童話テーマは何にしよう。