第461号:ご自身のお部屋に。を読んで
日々暖かくなりましたね~(^.^)/~~~
またしても執事の館より何やら琴線に触れる伝書鳩が来ました~W
**********************************
そこで肝心なのは、お嬢様がご自身のことを幸せと思われていらっしゃるかどうか、でございます。
週末のとくべつな出来事を通じて幸せを実感なさいますのも大いに結構ですけれど、普段の暮らしの中に、
当然のこととして受け流される幸せも、多々ございましょう。今日はぜひ、これに気付いてくださいませ。
いっぽう不幸については如何でございましょうか。すこし前に直面なさいました痛み、悲しみ、辛さなど、
時おり反芻するように悶えていらっしゃいませんか。よく今まで辛抱をなさいました。ご立派であります。
しかし、この不幸の揺り戻しは、幸せと扱いが異なりまして、あまり長く持たれないことをお奨めします。
例えるならば、お嬢様の胸の中は「ご自身のお部屋」のようなものでございます。したがいまして、
原則として誰も立ち入ることができかねますし、覗きこむことも出来ません。完全なるプライベートです。
その空間、つまり胸の中に、不幸のもとにいる相手を招いたり、不幸になった経緯を掲げますでしょうか。
痛み、悲しみ、辛さなどは、ひとに備わる感情であって、その発現を否定するつもりは毛頭ございません。
しかし長きにわたって胸の中に置かれても、誰ひとり手を貸すことはできかねますし、救いもできません。
つまり、悲しみは自ら捨てるしかなく、幸せで相殺することもできない、とお考えいただければ幸甚です。
お嬢様の心は、他の誰のものでもございません。胸の中にどのような気持ちと記憶を置かれるかは、
ご自身に認められた自由であり、是非とも思う通りにして豊かな日々を過ごしていただきとうございます。
まるで自分だけが損をしているように思われるかもしれませんが、悲しみに浸りすぎるほうが損ですから。
ああ、また長くして申し訳ございません。こんやも執事の館・準備委員会の広報係、松原(まつばら)が、
#名古屋の仮住まい の近況に #お申し付けの品 の動向など、一通りご報告して差し上げとうございます。
胸の中にある「ご自身のお部屋」に少しだけ、場所をお借りできれば幸いです。よろしくお願い致します。
お嬢様の胸の中にある「ご自身のお部屋」に幸せを置かれますのも、不幸を置かれますのも自由で、
その選択に誰かが口を挟むことはいっさい認められておりません。その代わりに、ほかの誰かが何かして、
お嬢様を幸せにすることも、不幸にすることも、本質的にはなし得ない、ということでございます。
冷たく聞こえるかもしれませんが、ご自身の感情は常にご自身の選択の結果で、誰のせいでもありません。
幸せをもたらすひとは大切にして、不幸を招くひとはそっと距離をとり、コントールを試みないことです。
そうするだけで、生きやすさは段ちがいに良くなります。不幸に取り憑かれてしまうことも減るでしょう。
概して不幸に執着するひとは、自ら幸せを選ぶ勇気がないひとです。それは今さら変えようのない経緯や、
いま置かれているお立場のせいもございましょう。どちらかといえば幸せなほうが嬉しいのは事実なのに、
不幸でいるほうが落ち着くから。被害者でいることにより自らの正しさを証明しようとする心の働きです。
もしかすると、その正しさは本当に正しいのかもしれません。しかし、正しさに固執しすぎることにより、
自らの心までも傷をつけていらっしゃるとしたら、正しいけれど間違い、ということもあると考える次第。
人生は心おもむくままに、と申しますけれども、お嬢様は是非とも自身の心に優しくしてください。
**********************************
今年ももう3月が終わり(1/4が過ぎた~早い!)将来(老後含む)とか色々、本当に色々考えてしまっている私に何やら染み入るお言葉ちらほらと(´;ω;`)ウッ…
特に大文字部分がいいなと思った部分です。
不幸なんて選ぶわけないじゃない、幸せになりたいんだからと思いますが…人間って変わる事の恐怖から動けない事もあるし
このお便りのように、不幸である事で正当化しようとしたり、やらない理由を探してしまっている癖に代わり映えしない日常に飽きてしまったり(これは私自身の事)と「案外やってるX2 やっちゃっているな。」と突き刺さりました。
”幸せ”を選びたいので自戒の念と未来への自分の応援エールも込めて、ここに記事UP。
PS あとよく行くBLOGさんやメルマガで「他人に厳しい人は自分にも厳しい」という事が書いてあり眼に留まりました。
他人を責めているのは自分を責めているのと同義かもしれません。
今よりちょっとゆるーく深呼吸して優しく生きていきたい(^.^)/~~~
またしても執事の館より何やら琴線に触れる伝書鳩が来ました~W
**********************************
そこで肝心なのは、お嬢様がご自身のことを幸せと思われていらっしゃるかどうか、でございます。
週末のとくべつな出来事を通じて幸せを実感なさいますのも大いに結構ですけれど、普段の暮らしの中に、
当然のこととして受け流される幸せも、多々ございましょう。今日はぜひ、これに気付いてくださいませ。
いっぽう不幸については如何でございましょうか。すこし前に直面なさいました痛み、悲しみ、辛さなど、
時おり反芻するように悶えていらっしゃいませんか。よく今まで辛抱をなさいました。ご立派であります。
しかし、この不幸の揺り戻しは、幸せと扱いが異なりまして、あまり長く持たれないことをお奨めします。
例えるならば、お嬢様の胸の中は「ご自身のお部屋」のようなものでございます。したがいまして、
原則として誰も立ち入ることができかねますし、覗きこむことも出来ません。完全なるプライベートです。
その空間、つまり胸の中に、不幸のもとにいる相手を招いたり、不幸になった経緯を掲げますでしょうか。
痛み、悲しみ、辛さなどは、ひとに備わる感情であって、その発現を否定するつもりは毛頭ございません。
しかし長きにわたって胸の中に置かれても、誰ひとり手を貸すことはできかねますし、救いもできません。
つまり、悲しみは自ら捨てるしかなく、幸せで相殺することもできない、とお考えいただければ幸甚です。
お嬢様の心は、他の誰のものでもございません。胸の中にどのような気持ちと記憶を置かれるかは、
ご自身に認められた自由であり、是非とも思う通りにして豊かな日々を過ごしていただきとうございます。
まるで自分だけが損をしているように思われるかもしれませんが、悲しみに浸りすぎるほうが損ですから。
ああ、また長くして申し訳ございません。こんやも執事の館・準備委員会の広報係、松原(まつばら)が、
#名古屋の仮住まい の近況に #お申し付けの品 の動向など、一通りご報告して差し上げとうございます。
胸の中にある「ご自身のお部屋」に少しだけ、場所をお借りできれば幸いです。よろしくお願い致します。
お嬢様の胸の中にある「ご自身のお部屋」に幸せを置かれますのも、不幸を置かれますのも自由で、
その選択に誰かが口を挟むことはいっさい認められておりません。その代わりに、ほかの誰かが何かして、
お嬢様を幸せにすることも、不幸にすることも、本質的にはなし得ない、ということでございます。
冷たく聞こえるかもしれませんが、ご自身の感情は常にご自身の選択の結果で、誰のせいでもありません。
幸せをもたらすひとは大切にして、不幸を招くひとはそっと距離をとり、コントールを試みないことです。
そうするだけで、生きやすさは段ちがいに良くなります。不幸に取り憑かれてしまうことも減るでしょう。
概して不幸に執着するひとは、自ら幸せを選ぶ勇気がないひとです。それは今さら変えようのない経緯や、
いま置かれているお立場のせいもございましょう。どちらかといえば幸せなほうが嬉しいのは事実なのに、
不幸でいるほうが落ち着くから。被害者でいることにより自らの正しさを証明しようとする心の働きです。
もしかすると、その正しさは本当に正しいのかもしれません。しかし、正しさに固執しすぎることにより、
自らの心までも傷をつけていらっしゃるとしたら、正しいけれど間違い、ということもあると考える次第。
人生は心おもむくままに、と申しますけれども、お嬢様は是非とも自身の心に優しくしてください。
**********************************
今年ももう3月が終わり(1/4が過ぎた~早い!)将来(老後含む)とか色々、本当に色々考えてしまっている私に何やら染み入るお言葉ちらほらと(´;ω;`)ウッ…
特に大文字部分がいいなと思った部分です。
不幸なんて選ぶわけないじゃない、幸せになりたいんだからと思いますが…人間って変わる事の恐怖から動けない事もあるし
このお便りのように、不幸である事で正当化しようとしたり、やらない理由を探してしまっている癖に代わり映えしない日常に飽きてしまったり(これは私自身の事)と「案外やってるX2 やっちゃっているな。」と突き刺さりました。
”幸せ”を選びたいので自戒の念と未来への自分の応援エールも込めて、ここに記事UP。
PS あとよく行くBLOGさんやメルマガで「他人に厳しい人は自分にも厳しい」という事が書いてあり眼に留まりました。
他人を責めているのは自分を責めているのと同義かもしれません。
今よりちょっとゆるーく深呼吸して優しく生きていきたい(^.^)/~~~