六花幻影
最初はあのヒッタイト帝国の皇妃として嫁げると喜んだ。
夫となるムルシリ2世には1人の妃もいなかった。
ただ幸運に見えたのは最初だけ。
話が来たのは冬の雪降る日だった。雪の結晶が花のようで、美しかった。
「え?私をヒッタイト皇妃に?」
父であるバビロニア国王・クリガルス2世から告げられた言葉に、王女ダヌヘパは戸惑う。
「そうだ!2ヶ月前に逝去したユーリ・イシュタル皇妃の後添えとしてお前を迎えたい、と
勿論、正妃としてだ!可愛いお前を側室としてなど、嫁がせんからな。」
満面の笑みを浮かべる父は、この縁談を心から喜んでいるようだった。
「でも、ムルシリ2世はもう既にお年を召してるのでしょう?」
「それはそうだが、私とお前の母に比べれば、大丈夫十分、似合いだよ。お前の母が私の元に
上がったのは、私が60歳近くで、お前の母が14,5だったからな・・・・それは可憐でな・・」
感慨深げに亡き妃を追憶するクリガルス2世は話を続けた。
「それに比べて、ムルシリ2世は確か50歳くらいで、お前が20になったばかりだ。
大丈夫だろう!」
無責任に太鼓判を押す、父であった。
「でも50だなんて!!お父様!!!私が末姫でなかったら、父親と年齢の変わらない殿方に嫁げ、て仰ってるのと一緒です!
それにヒッタイトはイシン・サウラ姉様を殺して、ナキア叔母さまを流刑にした帝国ではありませんか!!」
抗議の声を上げる王女。会ったこともない姉と叔母だがその二人が、かの国で不幸になったことに姫は良い印象を持っていなかった。
「ダヌへパ、言っていいことと悪いことがある!!」
瞬時に、父から国王としての厳しい顔に変わった。
「イシン・サウラのことは正妃になりたがった皇族の姫がやったこと。皇帝のせいではない。
ナキアのこともそうだ。むしろあれだけの事をしておいて流刑で済んだのが皇帝の寛容さを示しておる。
元老院は死刑を要求したそうだからな・・」
そしてバビロニア国王は、娘にナキアがした国家反逆罪、皇帝暗殺未遂等の所業を説明したのだ。
・・・だがさずがに姪である、イシン・サウラをナキアが殺した可能性やその他のこと――――彼は弟から帰国次第全てを聞いて知っていたのだ――――は教えることができなかった。
「そうでしたの・・・。ご無礼致しました、お父様。では、皇帝はご立派な方なのですね?」
一礼して問いかける姫。どうやらヒッタイト皇帝に対する心象は一転したようだ。
「うむ。分かれば良い。ムルシリ2世は賢帝と呼ばれて、その治世は磐石。
年齢のことは、さておき、そなたの嫁ぎ先としてこれ以上ない、と思っておるのだ」
「でも、私はお父様の側で暮らせる方が・・」
「無論、可愛いそなたを嫁がせるのは私としても、身が切られる思いだが、我が国のことを思えば、国王としてそんな事を言ってられんのだ。」
ダヌへパはクリガルス2世が年老いてから、寵姫との間にもうけた末姫であった。
その時の出産が元で妃が亡くなったこともあり、王は特にこの姫を可愛がり、ずっと手元に置くつもりで自国の王族に嫁がせるか、神官にさせると常々公言していたのだ。
だが、そんな親心も国王としての責務には、儚いものであった。
ナキア皇太后の失脚により、ヒッタイトからの援助がなくなりはしなかったものの目に見えて減り、理由が理由だけに、抗議もできず自国の勢力が後退したところに、代替わりしたアッシリア国王・エンリル・ニラリとの争いにも負けてしまった。彼の代でバビロニアは衰退してしまったのだ。それに頭を悩ませていた、バビロニア国王の元に、舞い込んだ、今回の話。
実は、皇妃の逝去の報を受け、もう一度オリエント1の勢力と縁を結ぶことができるなら、と話を持ち込んだのはバビロニアだった。
最悪、側室でもかまわない、と思い――――王女には言わなかった――――が、使者がヒッタイトからの承諾の返事を持ち帰ったのは、昨夜のこと。
(何としてもダヌへパにはヒッタイトに、嫁いでもらわねばならん)
周辺諸国も同じように求婚の書簡を出したときいている。今までユーリ・イシュタル皇妃への寵愛ゆえに妃1人を守ってきた皇帝と縁戚になるチャンスなのだ。
側室という話ならば、さすがに愛娘ではなく、王族に連なる娘――――姪か孫姫を嫁がせようと思っていたのだが、今回は話が違う。
女性の地位が高いヒッタイトで、皇妃になれるのだ。王女として産まれてこれ以上の幸せがあろうか。
親心と王としての打算的な計算の末の判断だった。
「ダヌへパよ、父ももう長くない。そうなったときに後見のないそなたの身が心配なのだよ。
それに酷な言い方だが、政略結婚は王族としての務めでもある。ヒッタイトと縁戚になるのは、必ず我が国の為になる。父のために行ってくれぬか」
「お父様・・・。」
「それにヒッタイト皇帝・ムルシリ2世はとても素晴らしい方だと聞いている。そして、イシュタルと呼ばれる皇妃を深く愛してらして、側室を1人も置かず、誠実な人柄らしい。最初は心を開いて頂くのに、時間が掛かるかもしれないが、それを超えれば、お前も同じように愛されよう・・・。何、お前程の姫はそうおらぬ、大丈夫だとも。」
重ねて言う父の声に、ダヌへパは頷いた。
「分かりました、お父様。ヒッタイトへ参ります!」
「おお、分かってくれたか。さすが我が娘。」
それからが大変だった。花嫁用の衣装、豪奢な支度。未来の皇妃になるための教育。
怒涛のように準備の1ヶ月が過ぎていった。
ダヌへパ姫は自分の身を幸せだと、思っていた。
王が寄越した教育係や自分付の侍女たちの夫となるヒッタイト皇帝の噂。
長身で誰もが見ほれる美貌。あふれる才気、存在感。
そして卓越した指導力。そしてヒッタイトがオリエントでどれほど発展しているか。
これからお会いする夫に期待と憧れが募った。
「ちょっと何しているの!?私はこんな衣装と装身具を持ってこいなんて言ってないわ!
紫の服とあの銀の細工がいいと言ったのに!」
ダヌヘパは後宮の女官を怒鳴りつけ、青い極上の衣装を投げつける。
知らない土地、知らない言葉。
嫁いで来たころは不安だった。だけどそれ以上の期待があった。
私はこの帝国の第一の女性になるのだと。
だが、現実はそんな甘いものでは、なかった。
そう。最初はあのヒッタイト帝国の皇妃として嫁げると喜んだ。
夫となるムルシリ2世には1人の妃もいなかった。そして評判通りの男性だった。
ただ幸運に見えたのは最初だけ。それを悟るのにそう時間は掛からなかったのだ。
嫁いで来て初めて知った事実。
皇帝の心を占めるのは死してなおーその後宮の最高位、伝説となった美貌と絶大な民衆の支持を誇る、女神と称えられた皇妃ユーリ・イシュタル。
皇太子は既に決まり、他にも神官ピア・近衛長官シンといった女神が残した自分より年上の皇子たち。そんな中に1人放り込まれ、自分は余所者なのだと悟った。
「どうして、私がたかだか平民出身のしかも、もう死んでいる皇妃より下なの!?」
やるせない思いと悲嘆にくれ、周りの家具や雑貨を壊し始めた。
「姫様。どうぞ落ち着き遊ばして。」故国より付いてきた侍女が慌てて主の行動を止める。
「これが落ち着いてられるの!?私はバビロニア王女よ、そしてヒッタイト皇帝の正室になるために嫁いできたのに・・・。」
現に後宮で与えられたのは、南側の正妃の間ではなく、格式が高いものの側室の部屋。
未だ、結婚式を挙げてないため、という名目ではあるが、前皇妃は立后前から住んでいたという。明らかに自分が低く見られてるといるとしか思えない。
そして女官たち。今、追い返した女官だけではない、前皇妃に仕えていた者達は、自分の振る舞いにいちいち、眉をひそめる。陰で悪口を言っているのも知っている。
「ユーリ様なら、もっとおやさしい」「イシュタル様なら、ねぎらいの言葉を・・・」等々。
私は王女。人より尊敬を受ける身。権力を行使する身分の女性。
それに慣れ、当たり前と思って父にも、愛されてきた王女には、そんな王宮に仕える者達の言葉や態度に合わせることや、分かりあう努力の仕方も知らず、またしようとも思わなかった。
「姫様、ここはバビロニアではありません!ヒッタイトです。タワナアンナになろうと言う方が前任の皇妃を、根拠なく悪し様に言われてはなりません。両国の関係にも影響が及びます。」
年嵩の腹心と言ってよい別の女官兼教育係・シャーナが、正論をぶつけてくる。
確かに彼女の言うことは正しい。自分はヒッタイトとバビロニアの両国の掛け橋となるべく、嫁いできたのだ・・・。でも・・。
「お前なんかに、私の気持ちは分からないのよ!!!」言い捨てて、部屋を飛び出していた。
女神の気配が色濃く残る後宮で悔しくて泣きながら、走った。
誰にも泣き顔を見られたくなくて、走って走って気がついたら、神殿前の水溜り、いや池の側に来ていた。そこで感情が極まった王女は、泣きじゃくっていた。
「うっっ、うっっ、」
流れ落ちる涙。感情が止まらない。そしてダヌへパの能力が、発動した。
彼女の能力は、故国の王家でも珍しいものであった。
それは、土地や物にある人の残った思念を読み取ると言うものだった。
そこでみたのは祖国の王家の特徴ある顔立ちをした自分と似た女性。
その女性は故国に犠牲にされた自分の運命を呪いながら、皇帝の側室として、生きていた。
貴族出身ですでに皇子、皇女を成している妃の下座になったことに憤りを感じ、泣きながら
走っている。まるで今の自分のようだ。
そこで、会った下級神官との恋。
会えるのは皇帝の寝所に行くときだけ。見つめあうだけの恋。
それでも姫は、己の気持ちをぶつけて、神官に言う。「私を連れて逃げて!」
だが、それは神官が宦官であるため叶わない。
そして、彼女は2年後。皇帝の皇子を産む。その子の髪は神官と同じ見事な金髪。
一目で恋に落ち、お互いに惹かれた。けれど実ることなかった恋。その金の髪を見てその恋が成就した気になった。皇帝の子供に違いないのに、彼の私の子のような気がして、愛しさが募った。――――決して過去の私や彼のような思いをさせぬため、そして故国を出た時の誓いのため、必ず至上の地位に!!――――
――――心の底からの叫び――――
自分で泳がなければ流される――――流される激流さえない
自分で立たなければ潰される――――私の居場所など初めからない。
だから私は自分で道を切りひらくしかなかった――――野心と才覚、魔術で競争激しい後宮を勝ち残った姫は、嫁いできたときとは別人のようだ。
私の道は何処にあるの?
ダヌへパは過去のナキアと自分の思念で頭が掻き乱されていた。ナキアの憤り、哀しみ、誇り。
それによって、血を染めた皇太后の所業がまるで自分自身の記憶のように、感じられて王女は
「いやああああっっ!!」
全身で拒絶して、その記憶の渦に耐えられなくて、気を、失った。
「姫様?お目覚めでらっしゃっいますか?ご気分は?」
気が付いたら、自分の後宮の部屋のいつもの寝台に寝かされていた。
心配気の女官・シャーナが水を浸した布をあてながら、声を掛けてきた。
何故あんなところにいたのか、と視線で訴えかける侍女たちの中で、シャーナ1人が冷静且つ
機敏に動いていた。役に立たない侍女など、要らない。
シャーナ以外の侍女を下がらせ、問うた。
「お前は私が何故あんなところにいたか聞かないの?」
「誰にでも、1人になりたいことはございますもの。」微笑んで、杯にワインを注ぐ。
そのワインに口をつけながら、彼女は先ほどの叔母の過去と自分がそれに共鳴し、恐怖して気を失った過程を語った。
王女の能力とその制御が効かないことをも熟知している彼女は、ある程度予期していたようだったが、さすがに元皇太后の所業は、その想像をはるかに越えていたため、話終わった後は、気丈なシャーナも顔色がよろしくなかった。
「それは・・・何と言ってよいか・・・。よもや姪御様まで・・・。それで、姫様?」
叔母に利用され殺された王女に対して哀しみの色が広がって、深いため息を吐き出した後、物問いたげな顔を向けた。
(姫様は何か言いたいのだ。言わせなければ。)
「・・・・私は何処にいるのだろう?・・・」
「はい?」
「・・・叔母のしたことは、確かに罪。でも私は羨ましいと思ってしまったのです。ねえ、シャーナ、側室として多くの妃との争いを生き抜くのと、ただ1人きりの正妃として、どちらが辛いと思う?」
主の言葉の意味が分かった気がした。
(姫様はこの帝国での存在意義が欲しいのだ。それも、両国の絆とかいう大儀や綺麗事ではなく、
もっと心の底からのもの)
「競争相手がいたら、辛い。私は嫉妬に苦しむ父上や兄上の妃達のようになりたくない。そう思って、いないことに喜んだのに。心穏やかに暮らせると思ったのに。なのに1人なのに苦しい。
まだ、相手がいれば、頑張りようもあったのに。手も打てるのに。・・・・・いいえ、居るのよ!!
この後宮の主は未だにユーリ・イシュタルなのよ!!!女神なんて、死んだ人間なんて、勝てっこないではないか!!死んだ人間は美しいままなのよ!!私がどんなに着飾っても、好みの振る舞いをしても、陛下は誉めて下さるけど、心は開いて下さらない!!私とイシュタルでは、勝負にすらならないのよ!!」
ダヌヘパはそこで息が切れ、拳を握り、ハアッハアッと宙をにらむ。
皇子の息子達や、知事夫人となった女神によく似ているというマリエ皇女の語らいや、正妃の間でかいま見た亡き妃を偲ぶ様子で分かった。
皇帝が、どれだけの愛情を前皇妃に注いでいたか。
そしてそこにおそらく誰も入り込む隙などないことを。
それには、シャーナも気が付いていた。皇帝は優しいし、礼儀正しい。政略結婚の相手としては、申し分ない。世情に疎い王女は、それを当然と受け止めているが、シャーナは安心した。
政略婚の相手が話と全然違うことなどよくあるからだ。
だが、その礼儀の中に決して見せない感情があるのを、感じていた。
「姫様・・・。」
(姫様もそれも感じてしまったのだろうか?)
「叔母様は、自分の息子を皇位にって目標があったでしょう?・・・もしかしたら、それしかなくてしがみついていたのかもしれないけれども!でも、それでも、何もない私よりは、マシよ!
・・・どうすれば良い?」
(きっと姫様は皇帝に好意を持っている。でなければ、こんなに前皇妃への嫉妬で苦しむはずがない。政略婚で決められた夫を好きになる。それは普通なら、幸せなことのはずなのに。)
胸がきしむ音がした。
出身・バビロニアの王宮で、領土の保証と引き換えに出された貴族の姫が、年老いた王など嫌だと、毎晩泣くのをこらえていたのも知っている。
遥か昔、バビロニアからエジプト王に嫁がされ、あまりの遠方ゆえに、王女であるのに、その無事さえ確かめられなかった女性もいた。政略結婚の多くの悲劇。
かといって、自国の後見もなく、嫁ぎ先を離れて暮らしていくのは、深窓の姫には、まず無理。
(本来なら、幸せなことのはずなのに。皇帝陛下に恋をして、側室もおらず)
それなのに。この後宮に妃と呼ばれる人はいないことが王女を追い詰めている。
あなたは、王女として何でも許されるご身分です。
お前は、王女としての義務を果たす為に、結婚せねばならない。
貴女は、お渡りがあるまで、ご結婚まで、こちらでお暮らし下さい。
南側の正妃の間は、お入りにならないように。ヒッタイトの流儀にお従い下さい。
・・・私は何処にいるのだろう?・・・
・・・幸せになれると信じていたのに・・・
縁談が出たときに見た雪の花が浮かんでは、浮かんでは、溶けて消えるのが、見えた。
*********************************************************************************
<後書>
寄贈した小説第二弾☆
これは悪役ナキア皇太后の過去話が出たころに思いついた話です。
由緒あるバビロニア王女でありながら、ヒッタイトではただの側室に過ぎなかった
屈辱の過去のフレーズが印象的だったことを覚えています。
「~その最高位には既に、民衆の圧倒的支持を誇る皇家出身の美貌の皇妃 しかも皇太子は既に決まっており
他にもカイル・ザナンザといった将来を嘱望された皇子達がいた。
そんな中で何も持たぬただの側室として、放りこまれたのだ~」
うろ覚えですが確かこんなフレーズでした。
これを読むまで、私はヒンティ皇妃が死んでからナキアが正妃として迎えられたと思ってました。
何せ一国の王女ですから。
でもそうじゃなくてこんな辛酸も舐めていたわけですね
どうりで自分の息子をどんな手段使っても、皇帝にしたがるんだと納得。
彼女の過去話は側近ウルヒとの悲恋も凝縮されてて胸に響きます。
ええとこのフレーズと似たような、でも内容が違うのをこの小説では書いてみたくてチャレンジしたんです。
漫画本編フレーズは「大勢のライバル(しかも美貌で血統正しいカイルの母がトップ)がいる中に放り込まれた王女」です。
この小説のフレーズは「ただ一人の妃で女神という眼に見えない敵と戦わなければいけない王女」です。
うまく対比が効いてるといいな~
夫となるムルシリ2世には1人の妃もいなかった。
ただ幸運に見えたのは最初だけ。
話が来たのは冬の雪降る日だった。雪の結晶が花のようで、美しかった。
「え?私をヒッタイト皇妃に?」
父であるバビロニア国王・クリガルス2世から告げられた言葉に、王女ダヌヘパは戸惑う。
「そうだ!2ヶ月前に逝去したユーリ・イシュタル皇妃の後添えとしてお前を迎えたい、と
勿論、正妃としてだ!可愛いお前を側室としてなど、嫁がせんからな。」
満面の笑みを浮かべる父は、この縁談を心から喜んでいるようだった。
「でも、ムルシリ2世はもう既にお年を召してるのでしょう?」
「それはそうだが、私とお前の母に比べれば、大丈夫十分、似合いだよ。お前の母が私の元に
上がったのは、私が60歳近くで、お前の母が14,5だったからな・・・・それは可憐でな・・」
感慨深げに亡き妃を追憶するクリガルス2世は話を続けた。
「それに比べて、ムルシリ2世は確か50歳くらいで、お前が20になったばかりだ。
大丈夫だろう!」
無責任に太鼓判を押す、父であった。
「でも50だなんて!!お父様!!!私が末姫でなかったら、父親と年齢の変わらない殿方に嫁げ、て仰ってるのと一緒です!
それにヒッタイトはイシン・サウラ姉様を殺して、ナキア叔母さまを流刑にした帝国ではありませんか!!」
抗議の声を上げる王女。会ったこともない姉と叔母だがその二人が、かの国で不幸になったことに姫は良い印象を持っていなかった。
「ダヌへパ、言っていいことと悪いことがある!!」
瞬時に、父から国王としての厳しい顔に変わった。
「イシン・サウラのことは正妃になりたがった皇族の姫がやったこと。皇帝のせいではない。
ナキアのこともそうだ。むしろあれだけの事をしておいて流刑で済んだのが皇帝の寛容さを示しておる。
元老院は死刑を要求したそうだからな・・」
そしてバビロニア国王は、娘にナキアがした国家反逆罪、皇帝暗殺未遂等の所業を説明したのだ。
・・・だがさずがに姪である、イシン・サウラをナキアが殺した可能性やその他のこと――――彼は弟から帰国次第全てを聞いて知っていたのだ――――は教えることができなかった。
「そうでしたの・・・。ご無礼致しました、お父様。では、皇帝はご立派な方なのですね?」
一礼して問いかける姫。どうやらヒッタイト皇帝に対する心象は一転したようだ。
「うむ。分かれば良い。ムルシリ2世は賢帝と呼ばれて、その治世は磐石。
年齢のことは、さておき、そなたの嫁ぎ先としてこれ以上ない、と思っておるのだ」
「でも、私はお父様の側で暮らせる方が・・」
「無論、可愛いそなたを嫁がせるのは私としても、身が切られる思いだが、我が国のことを思えば、国王としてそんな事を言ってられんのだ。」
ダヌへパはクリガルス2世が年老いてから、寵姫との間にもうけた末姫であった。
その時の出産が元で妃が亡くなったこともあり、王は特にこの姫を可愛がり、ずっと手元に置くつもりで自国の王族に嫁がせるか、神官にさせると常々公言していたのだ。
だが、そんな親心も国王としての責務には、儚いものであった。
ナキア皇太后の失脚により、ヒッタイトからの援助がなくなりはしなかったものの目に見えて減り、理由が理由だけに、抗議もできず自国の勢力が後退したところに、代替わりしたアッシリア国王・エンリル・ニラリとの争いにも負けてしまった。彼の代でバビロニアは衰退してしまったのだ。それに頭を悩ませていた、バビロニア国王の元に、舞い込んだ、今回の話。
実は、皇妃の逝去の報を受け、もう一度オリエント1の勢力と縁を結ぶことができるなら、と話を持ち込んだのはバビロニアだった。
最悪、側室でもかまわない、と思い――――王女には言わなかった――――が、使者がヒッタイトからの承諾の返事を持ち帰ったのは、昨夜のこと。
(何としてもダヌへパにはヒッタイトに、嫁いでもらわねばならん)
周辺諸国も同じように求婚の書簡を出したときいている。今までユーリ・イシュタル皇妃への寵愛ゆえに妃1人を守ってきた皇帝と縁戚になるチャンスなのだ。
側室という話ならば、さすがに愛娘ではなく、王族に連なる娘――――姪か孫姫を嫁がせようと思っていたのだが、今回は話が違う。
女性の地位が高いヒッタイトで、皇妃になれるのだ。王女として産まれてこれ以上の幸せがあろうか。
親心と王としての打算的な計算の末の判断だった。
「ダヌへパよ、父ももう長くない。そうなったときに後見のないそなたの身が心配なのだよ。
それに酷な言い方だが、政略結婚は王族としての務めでもある。ヒッタイトと縁戚になるのは、必ず我が国の為になる。父のために行ってくれぬか」
「お父様・・・。」
「それにヒッタイト皇帝・ムルシリ2世はとても素晴らしい方だと聞いている。そして、イシュタルと呼ばれる皇妃を深く愛してらして、側室を1人も置かず、誠実な人柄らしい。最初は心を開いて頂くのに、時間が掛かるかもしれないが、それを超えれば、お前も同じように愛されよう・・・。何、お前程の姫はそうおらぬ、大丈夫だとも。」
重ねて言う父の声に、ダヌへパは頷いた。
「分かりました、お父様。ヒッタイトへ参ります!」
「おお、分かってくれたか。さすが我が娘。」
それからが大変だった。花嫁用の衣装、豪奢な支度。未来の皇妃になるための教育。
怒涛のように準備の1ヶ月が過ぎていった。
ダヌへパ姫は自分の身を幸せだと、思っていた。
王が寄越した教育係や自分付の侍女たちの夫となるヒッタイト皇帝の噂。
長身で誰もが見ほれる美貌。あふれる才気、存在感。
そして卓越した指導力。そしてヒッタイトがオリエントでどれほど発展しているか。
これからお会いする夫に期待と憧れが募った。
「ちょっと何しているの!?私はこんな衣装と装身具を持ってこいなんて言ってないわ!
紫の服とあの銀の細工がいいと言ったのに!」
ダヌヘパは後宮の女官を怒鳴りつけ、青い極上の衣装を投げつける。
知らない土地、知らない言葉。
嫁いで来たころは不安だった。だけどそれ以上の期待があった。
私はこの帝国の第一の女性になるのだと。
だが、現実はそんな甘いものでは、なかった。
そう。最初はあのヒッタイト帝国の皇妃として嫁げると喜んだ。
夫となるムルシリ2世には1人の妃もいなかった。そして評判通りの男性だった。
ただ幸運に見えたのは最初だけ。それを悟るのにそう時間は掛からなかったのだ。
嫁いで来て初めて知った事実。
皇帝の心を占めるのは死してなおーその後宮の最高位、伝説となった美貌と絶大な民衆の支持を誇る、女神と称えられた皇妃ユーリ・イシュタル。
皇太子は既に決まり、他にも神官ピア・近衛長官シンといった女神が残した自分より年上の皇子たち。そんな中に1人放り込まれ、自分は余所者なのだと悟った。
「どうして、私がたかだか平民出身のしかも、もう死んでいる皇妃より下なの!?」
やるせない思いと悲嘆にくれ、周りの家具や雑貨を壊し始めた。
「姫様。どうぞ落ち着き遊ばして。」故国より付いてきた侍女が慌てて主の行動を止める。
「これが落ち着いてられるの!?私はバビロニア王女よ、そしてヒッタイト皇帝の正室になるために嫁いできたのに・・・。」
現に後宮で与えられたのは、南側の正妃の間ではなく、格式が高いものの側室の部屋。
未だ、結婚式を挙げてないため、という名目ではあるが、前皇妃は立后前から住んでいたという。明らかに自分が低く見られてるといるとしか思えない。
そして女官たち。今、追い返した女官だけではない、前皇妃に仕えていた者達は、自分の振る舞いにいちいち、眉をひそめる。陰で悪口を言っているのも知っている。
「ユーリ様なら、もっとおやさしい」「イシュタル様なら、ねぎらいの言葉を・・・」等々。
私は王女。人より尊敬を受ける身。権力を行使する身分の女性。
それに慣れ、当たり前と思って父にも、愛されてきた王女には、そんな王宮に仕える者達の言葉や態度に合わせることや、分かりあう努力の仕方も知らず、またしようとも思わなかった。
「姫様、ここはバビロニアではありません!ヒッタイトです。タワナアンナになろうと言う方が前任の皇妃を、根拠なく悪し様に言われてはなりません。両国の関係にも影響が及びます。」
年嵩の腹心と言ってよい別の女官兼教育係・シャーナが、正論をぶつけてくる。
確かに彼女の言うことは正しい。自分はヒッタイトとバビロニアの両国の掛け橋となるべく、嫁いできたのだ・・・。でも・・。
「お前なんかに、私の気持ちは分からないのよ!!!」言い捨てて、部屋を飛び出していた。
女神の気配が色濃く残る後宮で悔しくて泣きながら、走った。
誰にも泣き顔を見られたくなくて、走って走って気がついたら、神殿前の水溜り、いや池の側に来ていた。そこで感情が極まった王女は、泣きじゃくっていた。
「うっっ、うっっ、」
流れ落ちる涙。感情が止まらない。そしてダヌへパの能力が、発動した。
彼女の能力は、故国の王家でも珍しいものであった。
それは、土地や物にある人の残った思念を読み取ると言うものだった。
そこでみたのは祖国の王家の特徴ある顔立ちをした自分と似た女性。
その女性は故国に犠牲にされた自分の運命を呪いながら、皇帝の側室として、生きていた。
貴族出身ですでに皇子、皇女を成している妃の下座になったことに憤りを感じ、泣きながら
走っている。まるで今の自分のようだ。
そこで、会った下級神官との恋。
会えるのは皇帝の寝所に行くときだけ。見つめあうだけの恋。
それでも姫は、己の気持ちをぶつけて、神官に言う。「私を連れて逃げて!」
だが、それは神官が宦官であるため叶わない。
そして、彼女は2年後。皇帝の皇子を産む。その子の髪は神官と同じ見事な金髪。
一目で恋に落ち、お互いに惹かれた。けれど実ることなかった恋。その金の髪を見てその恋が成就した気になった。皇帝の子供に違いないのに、彼の私の子のような気がして、愛しさが募った。――――決して過去の私や彼のような思いをさせぬため、そして故国を出た時の誓いのため、必ず至上の地位に!!――――
――――心の底からの叫び――――
自分で泳がなければ流される――――流される激流さえない
自分で立たなければ潰される――――私の居場所など初めからない。
だから私は自分で道を切りひらくしかなかった――――野心と才覚、魔術で競争激しい後宮を勝ち残った姫は、嫁いできたときとは別人のようだ。
私の道は何処にあるの?
ダヌへパは過去のナキアと自分の思念で頭が掻き乱されていた。ナキアの憤り、哀しみ、誇り。
それによって、血を染めた皇太后の所業がまるで自分自身の記憶のように、感じられて王女は
「いやああああっっ!!」
全身で拒絶して、その記憶の渦に耐えられなくて、気を、失った。
「姫様?お目覚めでらっしゃっいますか?ご気分は?」
気が付いたら、自分の後宮の部屋のいつもの寝台に寝かされていた。
心配気の女官・シャーナが水を浸した布をあてながら、声を掛けてきた。
何故あんなところにいたのか、と視線で訴えかける侍女たちの中で、シャーナ1人が冷静且つ
機敏に動いていた。役に立たない侍女など、要らない。
シャーナ以外の侍女を下がらせ、問うた。
「お前は私が何故あんなところにいたか聞かないの?」
「誰にでも、1人になりたいことはございますもの。」微笑んで、杯にワインを注ぐ。
そのワインに口をつけながら、彼女は先ほどの叔母の過去と自分がそれに共鳴し、恐怖して気を失った過程を語った。
王女の能力とその制御が効かないことをも熟知している彼女は、ある程度予期していたようだったが、さすがに元皇太后の所業は、その想像をはるかに越えていたため、話終わった後は、気丈なシャーナも顔色がよろしくなかった。
「それは・・・何と言ってよいか・・・。よもや姪御様まで・・・。それで、姫様?」
叔母に利用され殺された王女に対して哀しみの色が広がって、深いため息を吐き出した後、物問いたげな顔を向けた。
(姫様は何か言いたいのだ。言わせなければ。)
「・・・・私は何処にいるのだろう?・・・」
「はい?」
「・・・叔母のしたことは、確かに罪。でも私は羨ましいと思ってしまったのです。ねえ、シャーナ、側室として多くの妃との争いを生き抜くのと、ただ1人きりの正妃として、どちらが辛いと思う?」
主の言葉の意味が分かった気がした。
(姫様はこの帝国での存在意義が欲しいのだ。それも、両国の絆とかいう大儀や綺麗事ではなく、
もっと心の底からのもの)
「競争相手がいたら、辛い。私は嫉妬に苦しむ父上や兄上の妃達のようになりたくない。そう思って、いないことに喜んだのに。心穏やかに暮らせると思ったのに。なのに1人なのに苦しい。
まだ、相手がいれば、頑張りようもあったのに。手も打てるのに。・・・・・いいえ、居るのよ!!
この後宮の主は未だにユーリ・イシュタルなのよ!!!女神なんて、死んだ人間なんて、勝てっこないではないか!!死んだ人間は美しいままなのよ!!私がどんなに着飾っても、好みの振る舞いをしても、陛下は誉めて下さるけど、心は開いて下さらない!!私とイシュタルでは、勝負にすらならないのよ!!」
ダヌヘパはそこで息が切れ、拳を握り、ハアッハアッと宙をにらむ。
皇子の息子達や、知事夫人となった女神によく似ているというマリエ皇女の語らいや、正妃の間でかいま見た亡き妃を偲ぶ様子で分かった。
皇帝が、どれだけの愛情を前皇妃に注いでいたか。
そしてそこにおそらく誰も入り込む隙などないことを。
それには、シャーナも気が付いていた。皇帝は優しいし、礼儀正しい。政略結婚の相手としては、申し分ない。世情に疎い王女は、それを当然と受け止めているが、シャーナは安心した。
政略婚の相手が話と全然違うことなどよくあるからだ。
だが、その礼儀の中に決して見せない感情があるのを、感じていた。
「姫様・・・。」
(姫様もそれも感じてしまったのだろうか?)
「叔母様は、自分の息子を皇位にって目標があったでしょう?・・・もしかしたら、それしかなくてしがみついていたのかもしれないけれども!でも、それでも、何もない私よりは、マシよ!
・・・どうすれば良い?」
(きっと姫様は皇帝に好意を持っている。でなければ、こんなに前皇妃への嫉妬で苦しむはずがない。政略婚で決められた夫を好きになる。それは普通なら、幸せなことのはずなのに。)
胸がきしむ音がした。
出身・バビロニアの王宮で、領土の保証と引き換えに出された貴族の姫が、年老いた王など嫌だと、毎晩泣くのをこらえていたのも知っている。
遥か昔、バビロニアからエジプト王に嫁がされ、あまりの遠方ゆえに、王女であるのに、その無事さえ確かめられなかった女性もいた。政略結婚の多くの悲劇。
かといって、自国の後見もなく、嫁ぎ先を離れて暮らしていくのは、深窓の姫には、まず無理。
(本来なら、幸せなことのはずなのに。皇帝陛下に恋をして、側室もおらず)
それなのに。この後宮に妃と呼ばれる人はいないことが王女を追い詰めている。
あなたは、王女として何でも許されるご身分です。
お前は、王女としての義務を果たす為に、結婚せねばならない。
貴女は、お渡りがあるまで、ご結婚まで、こちらでお暮らし下さい。
南側の正妃の間は、お入りにならないように。ヒッタイトの流儀にお従い下さい。
・・・私は何処にいるのだろう?・・・
・・・幸せになれると信じていたのに・・・
縁談が出たときに見た雪の花が浮かんでは、浮かんでは、溶けて消えるのが、見えた。
*********************************************************************************
<後書>
寄贈した小説第二弾☆
これは悪役ナキア皇太后の過去話が出たころに思いついた話です。
由緒あるバビロニア王女でありながら、ヒッタイトではただの側室に過ぎなかった
屈辱の過去のフレーズが印象的だったことを覚えています。
「~その最高位には既に、民衆の圧倒的支持を誇る皇家出身の美貌の皇妃 しかも皇太子は既に決まっており
他にもカイル・ザナンザといった将来を嘱望された皇子達がいた。
そんな中で何も持たぬただの側室として、放りこまれたのだ~」
うろ覚えですが確かこんなフレーズでした。
これを読むまで、私はヒンティ皇妃が死んでからナキアが正妃として迎えられたと思ってました。
何せ一国の王女ですから。
でもそうじゃなくてこんな辛酸も舐めていたわけですね
どうりで自分の息子をどんな手段使っても、皇帝にしたがるんだと納得。
彼女の過去話は側近ウルヒとの悲恋も凝縮されてて胸に響きます。
ええとこのフレーズと似たような、でも内容が違うのをこの小説では書いてみたくてチャレンジしたんです。
漫画本編フレーズは「大勢のライバル(しかも美貌で血統正しいカイルの母がトップ)がいる中に放り込まれた王女」です。
この小説のフレーズは「ただ一人の妃で女神という眼に見えない敵と戦わなければいけない王女」です。
うまく対比が効いてるといいな~
- 関連記事