「受け入れがたい苦痛」と取るか、「前向きな意味での諦め」と取るか
2018.04.20 18:00|日記|
どうしても受け入れられない事や逆に自分の事を分かって欲しくて仕方ない時ってありますよね~
私自身もそういう時、出来事ありますが…今正に身近で全部受入れて欲しくて仕方なくて、のたうち回っている子がいます。
既に定年退職した年齢の方に其処まで変わる事を求めるのは難しい(既に人間形成が出来上がっている)のではとある種の悟りというか静かな諦めというのが浮かぶのですが…彼女はどうにも諦めがたいみたいで 良く言えば純粋 悪く言えば頑固というか(-_-;)似たような事を繰り返しては傷ついていて、傍から見ていると心が痛みます( ノД`)シクシク…
そんな中、執事の館からのこの伝書鳩は(゚д゚)(。_。)ウン(゚д゚)(。_。)ウンしまくる文章でした。
「正しさを手放す」とか「執着をなくす」という解決方法!(((uдu*)ゥンゥン
正に自分が何度か彼女に言った事、思っていた事をより見事に文章化されているのでUPさせて頂きます。
それに加えて善意の第三者の思わぬ落とし穴的なエピもあります。
眼から鱗Σ(゚Д゚) な、なるべく客観的な意見を言ってたつもりだけど…どうだったんだろうと汗が('◇')ゞ
そういうのはいいやという方はリターン下さいませ。
似たようなお悩みの方の少しでも解決や慰めになる事を祈って☆彡
どうぞ(^.^)/~~~
ところで近ごろは、人間関係の摩擦にお困りでいらっしゃいませんでしょうか。お嬢様とご友人や、
ともに働くひと、お取り引きなさいます関係や、もっと身近なご家族、ご親族にも生じうると考える次第。
できれば仲良くしたいのに、どうしても引っかかりを覚えてお互い素直になれない関係がございましょう。
いちど生じた亀裂を埋めるのは至難の技かと存じます。なぜなら、双方が痛みを知ってしまっているから、
それぞれが(正しいかどうかはさておき)被害者という立場をとってしまい、相手を責めてしまうのです。
また、互いが正しさを証明しようとするとき、元のお相手ではない第三者に向かうことも多々ございます。
その結果として生じる膠着(こうちゃく)は、お嬢様にとって決して喜ばしいこととは申せません。
調和できれば、それに越したことはないのに、わざわざ敵対的な状況を維持なさる必要はないと考えます。
そこで「正しさを手放す」とか「執着をなくす」という振る舞いが生きましょう。続けても宜しいですか?
過去のお便りでもお伝えしておりますように、上手くいかない関係にこだわり、しがみ付く必要はなくて、
きょうお伝えします事柄は、関係性を維持せねばならない、やむを得ない状況について言及をいたします。
ですから、距離を置いても差し支えのない関係性であれば、音を立てず立ち去られますのが良いでしょう。
先ほども述べましたように、ひとは自らにとって都合の悪い存在を敵視して、自らの正しさを補強します。
その時点の心地は良いかもしれませんが、自分が正しくあるためには相手を悪者にする必要がございます。
そう。お察しのとおり、相手を悪者にし続ける限りは、いつまでたっても仲直りの機会が訪れないのです。
お嬢様が十分すぎるほど傷付かれ、悩まれ、苦しまれたことは、わたくし松原も存じてございます。
しかし本当の意味で豊かであられますためには、いったん受けられた痛みを無かったことにしていただき、
まっさらの状態でお相手と向き合われますことをお薦めしとうございます。そこに痛みがあったとしても。
最終的に和解に至らないかもしれませんが、それは大したことでなく自ら苦しみを選ぶ必要はないのです。
そしてお嬢様の寛容さによってお相手が態度を改める可能性は、少なくともゼロでないということ。
あくまでもご自身のために、膠着した関係において少しだけ振る舞いを変えては如何でございましょうか。
********************************************************************
きょう冒頭では、人間関係の摩擦において、互いに敵視する感情が調和の妨げになっている、という旨の
お話をいたしました。本当は仲良くしたいのに、いつしか対立が目的になっている可能性があるとのこと。
実はここにご留意をいただきたい、もうひとつの要素がございます。それは「善意の第三者」の存在です。
人と人のあいだに摩擦が生じるとき、その多くは2者だけでなく、第三者が関与することが多くあります。
しかも、そこに悪意がないのがほとんどで、私たちは違和感を覚えることなく受け入れてしまいがちです。
たとえば「君はこうした方が良いだろう」「あの人はこう考えているだろう」なる主旨の助言であります。
とうの本人が仰るならまだしも、実際には関係のない第三者が、良かれと思って助言をすることによって、
当事者である2者間に小さな亀裂が生じる場面は、まことに多くございます。表面化していないストレス、
言及されていない要望、それらを(ほとんど憶測で)補おうとする動きは、些か困りものでございますね。
お嬢様には、是非ともこのような第三者の存在にご注意をいただきたいと考えますし、もし万が一、
良かれと思って仲を取り持つときには、くれぐれも主観ではなく、事実に基づくコメントをくださいませ。
たとえご自身からご覧になって、明らかな間違いがあっても、言及なさらない方が良い場合もございます。
できれば皆が、仲良くして日々を過ごされますことが理想であり、まことの意味での平和と申せましょう。
それでも相容れないことは必ずあって、その当事者に立たれることも、近しい第三者に立たれますことも、
必ずあると断言いたします。そのとき、なるべく執着せず、事実に基づいて話せるように努めてください。
私たちは大人になる過程で、どうしようもない矛盾や、不均衡を受け入れねばならない宿命にございます。
それを「受け入れがたい苦痛」と取るか、「前向きな意味での諦め」と取るかで、大きく異なる次第です。
お嬢様には、今のところ幸せだと思われます方法をお選びいただければ、私たちは幸いに存じます。
春は爽やかに混沌として、身の回りにも、心のなかにも動きが多くなる時季かと存じます。どうか毎日を、
穏やかに過ごしていただけますように…。私たち使用人は、何かしらの働きでお役に立ちとうございます。
最後になりましたが、私たちは常にお嬢様の味方であって、一切を否定しませんこと、念のために。
いま何か辛抱なさっていることはございませんか。ほんとうは誰かに漏らしたい心の声はございませんか。
いっさい叱ったり咎めたりはいたしませんから、少しだけお話をくださいませ。0時までお供を致します。
私自身もそういう時、出来事ありますが…今正に身近で全部受入れて欲しくて仕方なくて、のたうち回っている子がいます。
既に定年退職した年齢の方に其処まで変わる事を求めるのは難しい(既に人間形成が出来上がっている)のではとある種の悟りというか静かな諦めというのが浮かぶのですが…彼女はどうにも諦めがたいみたいで 良く言えば純粋 悪く言えば頑固というか(-_-;)似たような事を繰り返しては傷ついていて、傍から見ていると心が痛みます( ノД`)シクシク…
そんな中、執事の館からのこの伝書鳩は(゚д゚)(。_。)ウン(゚д゚)(。_。)ウンしまくる文章でした。
「正しさを手放す」とか「執着をなくす」という解決方法!(((uдu*)ゥンゥン
正に自分が何度か彼女に言った事、思っていた事をより見事に文章化されているのでUPさせて頂きます。
それに加えて善意の第三者の思わぬ落とし穴的なエピもあります。
眼から鱗Σ(゚Д゚) な、なるべく客観的な意見を言ってたつもりだけど…どうだったんだろうと汗が('◇')ゞ
そういうのはいいやという方はリターン下さいませ。
似たようなお悩みの方の少しでも解決や慰めになる事を祈って☆彡
どうぞ(^.^)/~~~
ところで近ごろは、人間関係の摩擦にお困りでいらっしゃいませんでしょうか。お嬢様とご友人や、
ともに働くひと、お取り引きなさいます関係や、もっと身近なご家族、ご親族にも生じうると考える次第。
できれば仲良くしたいのに、どうしても引っかかりを覚えてお互い素直になれない関係がございましょう。
いちど生じた亀裂を埋めるのは至難の技かと存じます。なぜなら、双方が痛みを知ってしまっているから、
それぞれが(正しいかどうかはさておき)被害者という立場をとってしまい、相手を責めてしまうのです。
また、互いが正しさを証明しようとするとき、元のお相手ではない第三者に向かうことも多々ございます。
その結果として生じる膠着(こうちゃく)は、お嬢様にとって決して喜ばしいこととは申せません。
調和できれば、それに越したことはないのに、わざわざ敵対的な状況を維持なさる必要はないと考えます。
そこで「正しさを手放す」とか「執着をなくす」という振る舞いが生きましょう。続けても宜しいですか?
過去のお便りでもお伝えしておりますように、上手くいかない関係にこだわり、しがみ付く必要はなくて、
きょうお伝えします事柄は、関係性を維持せねばならない、やむを得ない状況について言及をいたします。
ですから、距離を置いても差し支えのない関係性であれば、音を立てず立ち去られますのが良いでしょう。
先ほども述べましたように、ひとは自らにとって都合の悪い存在を敵視して、自らの正しさを補強します。
その時点の心地は良いかもしれませんが、自分が正しくあるためには相手を悪者にする必要がございます。
そう。お察しのとおり、相手を悪者にし続ける限りは、いつまでたっても仲直りの機会が訪れないのです。
お嬢様が十分すぎるほど傷付かれ、悩まれ、苦しまれたことは、わたくし松原も存じてございます。
しかし本当の意味で豊かであられますためには、いったん受けられた痛みを無かったことにしていただき、
まっさらの状態でお相手と向き合われますことをお薦めしとうございます。そこに痛みがあったとしても。
最終的に和解に至らないかもしれませんが、それは大したことでなく自ら苦しみを選ぶ必要はないのです。
そしてお嬢様の寛容さによってお相手が態度を改める可能性は、少なくともゼロでないということ。
あくまでもご自身のために、膠着した関係において少しだけ振る舞いを変えては如何でございましょうか。
********************************************************************
きょう冒頭では、人間関係の摩擦において、互いに敵視する感情が調和の妨げになっている、という旨の
お話をいたしました。本当は仲良くしたいのに、いつしか対立が目的になっている可能性があるとのこと。
実はここにご留意をいただきたい、もうひとつの要素がございます。それは「善意の第三者」の存在です。
人と人のあいだに摩擦が生じるとき、その多くは2者だけでなく、第三者が関与することが多くあります。
しかも、そこに悪意がないのがほとんどで、私たちは違和感を覚えることなく受け入れてしまいがちです。
たとえば「君はこうした方が良いだろう」「あの人はこう考えているだろう」なる主旨の助言であります。
とうの本人が仰るならまだしも、実際には関係のない第三者が、良かれと思って助言をすることによって、
当事者である2者間に小さな亀裂が生じる場面は、まことに多くございます。表面化していないストレス、
言及されていない要望、それらを(ほとんど憶測で)補おうとする動きは、些か困りものでございますね。
お嬢様には、是非ともこのような第三者の存在にご注意をいただきたいと考えますし、もし万が一、
良かれと思って仲を取り持つときには、くれぐれも主観ではなく、事実に基づくコメントをくださいませ。
たとえご自身からご覧になって、明らかな間違いがあっても、言及なさらない方が良い場合もございます。
できれば皆が、仲良くして日々を過ごされますことが理想であり、まことの意味での平和と申せましょう。
それでも相容れないことは必ずあって、その当事者に立たれることも、近しい第三者に立たれますことも、
必ずあると断言いたします。そのとき、なるべく執着せず、事実に基づいて話せるように努めてください。
私たちは大人になる過程で、どうしようもない矛盾や、不均衡を受け入れねばならない宿命にございます。
それを「受け入れがたい苦痛」と取るか、「前向きな意味での諦め」と取るかで、大きく異なる次第です。
お嬢様には、今のところ幸せだと思われます方法をお選びいただければ、私たちは幸いに存じます。
春は爽やかに混沌として、身の回りにも、心のなかにも動きが多くなる時季かと存じます。どうか毎日を、
穏やかに過ごしていただけますように…。私たち使用人は、何かしらの働きでお役に立ちとうございます。
最後になりましたが、私たちは常にお嬢様の味方であって、一切を否定しませんこと、念のために。
いま何か辛抱なさっていることはございませんか。ほんとうは誰かに漏らしたい心の声はございませんか。
いっさい叱ったり咎めたりはいたしませんから、少しだけお話をくださいませ。0時までお供を致します。