伊賀上野城

2012.03.09 01:12|歴史
忍者の有名な伊賀の上野城へ行っていましたw
白亜三層の城で「白鳳城」の雅名通りの端麗なお城

伊賀上野城#8207;


慶長13年(1608)8月、徳川家康は信任厚い 藤堂高虎に、伊賀の国10萬石・伊勢の内10萬石 、伊予の内2万石合わせて22萬石を与えた。 高虎が伊賀、伊勢に移封されたのは、家康の信任が厚かったのと、築城の名手でもあり、来るべく大坂との決戦に備えたもので、筒井定次の城は、大坂城の出城として大坂を守る形をとっていたのに対し、高虎の城は、大坂を攻撃するための城と全 く逆の立場の城として、慶長16年(1611)正月、 上野城を有事の根城として本丸を西に拡張、高さ 約30メートルという高石垣をめぐらして南を大手と した。
  建設中の五層の天守閣は、慶長17年(1612)9月2日、当地を襲った大暴風で倒壊したが、 外郭には、10棟の櫓(二重櫓二棟、一重櫓八棟)と長さ21間(約40m)という巨大な渡櫓(多聞)をのせた東西の両大手門や御殿などが建設された。(伊賀文化産業協会HPより抜粋)

上野城は高石垣で有名で大阪城と共に日本で一、ニを競う高~い石垣がありました。
写真↓ではあまり分かりませんが、高くて怖いです
「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さを誇り、三方に折廻して、延長368mに及ぶんだとか。
高い石垣#8207;
大きい石垣#8207;
高さだけじゃなくて、1つ1つの石が大きい

天主閣再興は、伊賀上野城跡に衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建てられた。
川崎の「攻防策戦の城は滅ぶ時あるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」との理想をもとに、「伊賀文化産業城」と命名された。昭和7年(1932年)10月14日地鎮祭を執行、工事に着手、翌年11月19日の棟上式、昭和10年(1935年)10月18日に完成。
鉄筋コンクリートでというお話もあったが、桃山形式の木造建築で再興された

現在、藩主の書画展・歴代藩主肖像画展がやってました。
藤堂家の初代にちなんで 藤堂高○って方ばかりでした。
後は、藤堂家の家紋入り膳」や箱、籠なんか展示してありました。
鎖帷子はぼろぼろで、当時の物だな~って感じしました。
秀吉から拝領した兜は飾りが大きすぎて的になるんじゃ!?って心配になるほど。
でも秀吉の派手好きな性格が如実に表れてるかも

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雪月花桜

Author:雪月花桜
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現在それ以外でも二次小説をupしておりますし、OLなりの節約・日々の徒然を語っています。

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