古代史 悲劇の人(PART1)
大物政治家カップルの次は、その陰の悲劇の人シリーズ PART1
蘇我遠智娘(造媛、美濃津子娘とも云われる)
持統天皇の母親です。
そして持統天皇を645年(大化の改新)に産んでいるので、姉・大田皇女のことを考えても644年以前に
天智天皇(当時の中大兄皇子)に嫁いでいたと考えられるのです。
ここで彼女は、何気にキーパーソンです。
大化の改新で蘇我入鹿が殺され、蝦夷は自殺します。
一見蘇我一族が滅んだように見えますが、まだ健在なのです。
本家である蝦夷・入鹿は滅びますが、天智に味方協力した父・蘇我倉山田石川麻呂が右大臣になっているのです。
つまりこの事件は、蘇我の一族争いの一面もあるわけです。
後の世の藤原氏でも、同じことがおきています。(北家とか4家に別れます)
権力が万全になると今度はその一族内部で争う。世の常ですね・・。
つまり当時皇太子候補が数人いました。
古人大兄皇子****舒明天皇の第一皇子(母は蘇我馬子の娘・蘇我法提郎女)**後見 蘇我蝦夷 入鹿
中大兄皇子******舒明天皇の第一皇子(母は皇極天皇)
この図式が遠智娘を妃にしたことにより、蘇我倉山田石川麻呂が後見になるわけです。
父は右大臣、夫は皇太子、しかも既に二人の娘を産んでいる-この世の春が彼女に訪れます。
ですが、その幸せは長く続きません・・・。
蘇我遠智娘(造媛、美濃津子娘とも云われる)
持統天皇の母親です。
そして持統天皇を645年(大化の改新)に産んでいるので、姉・大田皇女のことを考えても644年以前に
天智天皇(当時の中大兄皇子)に嫁いでいたと考えられるのです。
ここで彼女は、何気にキーパーソンです。
大化の改新で蘇我入鹿が殺され、蝦夷は自殺します。
一見蘇我一族が滅んだように見えますが、まだ健在なのです。
本家である蝦夷・入鹿は滅びますが、天智に味方協力した父・蘇我倉山田石川麻呂が右大臣になっているのです。
つまりこの事件は、蘇我の一族争いの一面もあるわけです。
後の世の藤原氏でも、同じことがおきています。(北家とか4家に別れます)
権力が万全になると今度はその一族内部で争う。世の常ですね・・。
つまり当時皇太子候補が数人いました。
古人大兄皇子****舒明天皇の第一皇子(母は蘇我馬子の娘・蘇我法提郎女)**後見 蘇我蝦夷 入鹿
中大兄皇子******舒明天皇の第一皇子(母は皇極天皇)
この図式が遠智娘を妃にしたことにより、蘇我倉山田石川麻呂が後見になるわけです。
父は右大臣、夫は皇太子、しかも既に二人の娘を産んでいる-この世の春が彼女に訪れます。
ですが、その幸せは長く続きません・・・。
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